無駄な経歴はない

この前のエントリのようなことを書くと、すぐに「無駄な経歴積んでもね」とか言う奴がいる。

確かに、「人は経歴」というところがあるから、自分の属性にしたくない経歴を積むと、「そんな人」として見られてしまう。そういった意味では、あまり変な経歴を積むのは、いろいろな意味でマイナスになるということはないではない。

しかし、私はあえてここで、

経歴が無駄かどうかは、
自分の心が決める

と言いたい。

私の経歴は、実に変だ。また、やった仕事の中身を細かく書いてはいないが、それらを見るとさらに変だ。その当時は「俺のやりたいのは○○なのに、××な実績ばかり出来る」と嘆いたり、「この仕事は今だけで、未来に続くようなことはないんだろうな」と思ったりしたものだ。まぁ「食うための仕事」だからやったのだけど、それらの全てが当時やりたかったかと言われると、「否」だ。

元々の私にはそれなりに「志」があり、そっち方向に進みたいと思っていた。そのための勉強もしたものだが、たいていそういった仕事は「脇をかすめて」行ったものだ。あるいは、準備万端整えて、「さぁやるぞ」と思った時には、別のことをしなきゃいけないこともあった。あるいは、自分の方向と仕事の折り合いをうまくつけても、うまくついたあたりでやれなかったりしたことも多々ある。

そういった意味では、少なくとも過去においては「やりたい仕事」はやれなかったし、その仕事のための「経歴」を積むことも出来なかった。だから、私への「客観的評価」は人によって様々で、一言で「○○をやる人」とは言えないのは、mixiの紹介文を見ても明らかだ。私が現役プログラマであることを知らない人(それもかなり長い付き合い)もいるのにはびっくりした。

そういった意味では「職務経歴書」にはそれこそ「何でも書ける」のではあるが、「で、本業は?」と言われても「あの、その…」と言うしかないかも知れない。そういった意味では、

無駄な経歴だらけ

と言えなくもない。

私の仕事はたいてい「コンサル〜プログラマ」の間の領域であることが多く、話の発端は「○○なシステム作れる?」である。これに答えるためには、

  • ○○についての知識
  • ○○について必要なシステム像
  • そのシステムの技術的開発可能性
  • 開発のための人材確保
  • 見積りと資金繰り
  • そのシステムのための設備

などなどの知識が必要になる(もっと必要だ)。これらは有機的に絡みあっていたりするから、どれか単一の領域だけ詳しくてもダメだし、正攻法だけではなくて「トンチ」が必要なことも少なくない。また、「○○」についても、相手よりも詳しくなければならない。

そんな時には、案外「無駄な経歴」が役に立つ。いろんな業種を経験させてもらえたし、いろんなシステムをやった。大プロジェクトの経験はあまりないが、小プロジェクトはいっぱいやったから、金だの人だのの扱いも身についた。相手に「なんでそんなことまで知ってる?」と言わしめるくらい「雑学」を身につけることが出来た。

確かに客観的には「無駄な経歴」だったのかも知れないが、私の今の仕事には非常に都合がいい。顧客に頼りにしてもらえるだけの知識と能力を持つことが出来た経歴だったのだ。

これは別に私の職業の領域である「コンサル〜プログラマ」に限ったことではないと思う。たいてい何の仕事も「その職業のことだけ詳しい」ということはあまり喜ばれることは少なく、「その職業とその周辺」を期待されることの方が多い。特に「客商売」の場合はそうだし、技術屋であっても「境界領域」や「周辺分野」のスキルの要求は少なくないはずだ。

ただ、そんな「一見無駄と思える経歴」を生かすためには、条件がある。それは、

ちゃんと経験として積む

ことである。単に「やらされてました」ではなく、主体的に経験したことを考察しつつ、知識化して行くこと。これが必要だ。そうでなければ、「○○は知ってます」と言ったところで、相手につっこまれて答えに窮すれば「やってないのと同じ」になってしまう。「やってないのと同じ」ということはすなわち「無駄」だということだ。せいぜい、「昔ちょっとやってました」という「話のネタ」にしかならない。まぁそれはそれで悪くないし、いつもいつも主体的になれるわけでもないから、それはそれなんだが。

途中で主体的になるものであっても、もちろん最初は嫌々だ。それはしょうがない。私だってたいていの仕事は、最初は「やらされた」ものだし「しょうがなく」やっていた。しかし、私は「経歴」が「話のネタ」で終わるのが「もったいない」と思っていたから、ある時点から主体的になることにした。そうでなければ、「無駄な経歴」になってしまい、「人生を浪費」したことになってしまうと考えたからだ。まー、そこまで必死になることもないかも知れないが。

まぁ何にせよ、主体的に積んだ経験であれば、どんな経歴も無駄なものではない。また、主体的でなくても「話のネタ」くらいにはなるから、「つかみ」としてはそんなに悪いもんじゃない。それよりは、「何の経歴もない」ことの方がずっと有害だ。