「就職氷河期」はなぜ起こったのか

「就職氷河期」はなぜ起こったのか

こういった問題は池田氏はまっとうなことを言っている。わかりもしない世界にちょっかい出さないで、こういったことをやっていてくれると「読者」としてもためになって嬉しいんだが。であるが、これは私の目から見るとこれはやはり、勘違いだ。「間違い」ではないのだけど、「一面」に過ぎない。

私から見た「就職氷河期」とは、一種の「適応障害」の結果だ。以下、私の目から見た「就職氷河期」。まぁこれも「一面」に過ぎないのだが。

「就職氷河期」と呼ばれた時代。実は中小零細企業の求人はそれ程落ちていなかった。古くからある中小企業も、ベンチャーと呼ばれる企業も、いわゆるバブル期にはロクに人が採れなかったものだから、「氷河期」になってもやはり人は欲しかった。

バブル崩壊で世の中の景気が悪くなったとは言え、地道に「物を作る」とか「物を売る」とかということまで不要になったわけじゃない。崩壊したのは「バブル」の部分だけであって、バブルと関係ない部分ではやはり人が必要であることに変わりはなかったのだ。バブルが崩壊したところで、いわゆる「労働集約的」な仕事の構造が変わったわけではない(オフショアが流行るのはもっとずっと後)。

だから、人を採り(れ)過ぎた大企業は別にして、バブル崩壊後であっても中小零細の企業では人が欲しかったことに変わりはない。実際、私の前の勤務先でもそうであった。

ところが、そんな会社に人は来ない(私の当時の勤務先でもそうだった)。当時の若者は「バブル崩壊」に適応出来ていなかった。自分の数期先輩が「楽していい会社に入った」ことが忘れられないから、自分たちもそんな会社に行けると思っていたのだ。だから、気分はバブルのままであり、それがだめなら「フリータという選択」があると思っていた。つまり、いまだ「人手」が不足していた中小零細の会社には見向きもしないで、「仮の姿」として「フリータ」を選択した。そしてそのまま… なわけだ。

当時の「就職氷河期」なんてのは、大企業だけのことで、中小零細の会社はそんなことなかったのだ。バブリーな仕事は減ったが、地道な仕事にはまだ求人があった。IT業界は「2000年問題」を控えていたし、「ITバブル」の前夜だった。

その時「いつかビッグに」「フリーターという選択」なんてくだらない夢を見ないで、また「いつ潰れるかわからない」なんてゴタクを述べないで、中小零細の会社に入っていれば、それこそ「ビッグ」になったかも知れないし、悪くしても「職務経歴」は残ったはずだ。

「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。

なんて言ってる奴は、私は嘲笑うだけだ。今、職がないのは、お前の自業自得なんだよ。自分の「程度」も考えないでくだらないゴタクを並べて、その時に就職しなかったのが悪いだけだ。おまけに「希望は、戦争」だって? 勝手にやってろ。地道に働いて来た俺まで巻き込むな。

「結果」なんてのは、いろいろなもの(「努力」とだけで片付けるつもりはない)を積み上げた後に来るものだ。「フリータ」を選んでいれば、それに似合った「結果」が来るだけだ。

確かに、「今」の時代は「働けど働けど」と思うことは多いだろう。でもな、

やって成果があるとは限らないが、
やらずに成果が出ることはない

のだ。「あの時」、「潰れそうな零細企業」でも選んでいれば、とりあえず「飯と職務経歴」は出来たはずだ。「フリーター」はそんな地べた這うようなことから比べれば、「格好いい生き方」だったのかも知れない。しかし、その「格好よさ」と裏腹に失なったものがあるのは、それは自分の選択の結果、つまり自己責任だ。

そういった、時代の変化に適応出来なかった、「バブル気分」の残っていた奴等が「就職氷河期」に見舞われただけのこと。経済がどうこうという問題とはちょっと違うと思う。

私の今の会社でも、「やる気と素質」さえあれば、グダグダ難しいことは並べていないし、働きに似合った給料を出す気でいる。それでも、門戸を叩いた奴は0だ。そりゃいつ潰れるかわからない会社ではあるけれど、「勤めた間の職務経歴と飯」だけは保証されているのだが。

時代は変化して行く。それに追従出来なかった者は「退場」させられる。それだけのこと。