「使えるオタク」??

私はオタクが嫌いだ。

その嫌いっぷりは私を真に知っている人は知っていると思う。秋葉に住んではいるが、それは仕事に便利だからなだけで、普段は秋葉にはまず行かない。あの街の臭いが嫌いだからだ。よく凄く嫌うことを「蛇蝎のごとく嫌う」と言うが、私にとっては蛇や蝎の方がかわいく見える。

「お前もオタクだろ」「自己嫌悪の一種だな」と思う奴は、そう思う理由を5つ挙げてみるといい。4つは即座に否定するだろう。残る1つは何かと聞かれれば、「人間、誰でもオタク性は持っている」ということだ。「オタク要素を持っている」と「オタクである」ということは別のことなのだ。

「オタク要素」というのは、プロフェッショナルにも通じることである。「オタク的なこだわり(この「こだわり」の使い方は厳密には誤用である)」を持たずして、プロはプロたりえない。だから、オタク要素を持たないプロは単なるサラリーマンであって、それ以上のものにはならない。

もちろんそんなものを持たなくても、プロとして通用する仕事を楽々こなしてしまう天才もいるだろう。しかし、そういった「天才」は何であっても天才だから、「一般論」を考える上では除外すべきだ。そんな天才じゃない「普通の人」がプロとして通用するためには、オタク要素は不可避なのだ。

だからと言って、「オタク」が肯定されるかと言えば、私はしない。

という前置きをしておいて。

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この記事。なかなか興味深いマーケッティングの話だ。

この記事の終わりの方で「使えるオタク」というのが出て来る。

一度、宏美さんに命名されているんですが、「使えるオタク」と言われているんですよ。宏美さんが言うには、「使えるオタク」というのは、ファンのことも、アーティストのことも、レコード会社のことも考えたうえで、自分の好きなモノを提案する人だと。そうでないオタクというのは、自分のこと「だけ」を考えてどんどん提案する…。

言いたいことがわからないではないが、それは「生業としないプロ」であって、「オタクの一種」とは違うと思う。

「オタク」とは自分のことだけを考えるもの

だからだ。まー、だからオタクが嫌いなんだが。

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