やらなきゃならないことは、やってみること

未来予測を怠っていませんか

この連載は毎回欠かさず読んでいる。科学者という視点から経営や人事について書いてあるという、異色の連載なのだけど、そういった日本において「勘」が重視される世界に「科学」を持ち込んでいるところがいい。それも「社会科学」の分類される科学ではなく、「自然科学」や「工学」に分類されるものだという点が面白くもあり、身近でもある。

今日のテーマはどうやら「未来予測」らしい。

一番大切なことは、誤差が大きくても、まず予測してみることだ。そして、その商品のライフサイクルに合った短い時間軸で販売結果をフィードバックするのだ。
(中略)
そして、どんな業種にとってもそれは不可能ではなく、やればできることなのだ。最悪なのは、「予測しても当たらないことが多いので、やめました」という経営スタンスだ。もう少し科学の力を信じて欲しい。

前の会社の役員をやっていた時、何かあると私はブツブツ計算をしていた。事業の話をしている間にごく簡単な収益モデルを組み立て、どれだけ資源を投入するといつどれだけの収益が出るかという計算をしていたのだ。だから、「生越さんはいつも計算している」と言われたものだ。本当は暗算苦手なんだけど。

そうやった計算はたいてい当たらない。モデルが単純過ぎて予測と言える程の結果が出ないのだ。何しろ一番肝心な「需要予測(=営業力の評価)」がされていないので、当たろうはずがない。だから、要するに「皮算用」でしかない。とは言え、そんな計算もしなかったら、下手すれば「最高の条件を揃えたのに期待する結果が出ない」ということになってしまう。そういった意味では、その時点で求められる精度においては上々の「予測」だったと思う。

本当にマジメに「予測」がしたければ、宮田氏の言うように、結果のフィードバックをしながら、モデルの精度を上げて行けばいい。もちろん計算ばかりでは「勘」を重視する人達から批判を浴びるだろうが、そに時点で必要な精度の計算をしておけば、そんな批判も和らぐ。

前に書いた「アジャイル」の話だけ読むと、私はこういった「反復法」ということを嫌うような印象を受けると思うが、実は反復法(イテレーション)は好きなアプローチだ。

とりあえず適当にやってみて、結果を評価しながら修正をする

というのは、求める「精度」に合わせて「手数」が変わるという点で、都合がいい。いわゆる前進型解法のように、「とにかく闇雲に高精度で計算する」ということが必要ない点で経済的だ。まぁ収束性の問題がつきまとうのは厄介ではあるが、逆にその辺をどう評価するかという点で「勘」も生きて来る。とても現実的なやり方だろう。

このことは、何も「未来予測」だけではない。やらなきゃいけないことは、どうせやらなきゃいけない。それならやってみるしかない。大事なのは、やってみた結果を評価しながら、「精度」を上げて行くことだ。件の記事にもあるように、一番いけないのは「やめました」ということだ。

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