悲観論からは何も生まれない

悲観論からは何も生まれない

まぁ要するに普段私の思っていることがそのまま書かれているわけだが。

悲観的観測や否定的な見方ってのは、「賢そうにふるまう」のには便利。物事を楽観的に捉えるのは馬鹿っぽく見えたりもするし、「だから言ったじゃない」と言いやすい。楽観的な観測をして、楽観的な結果が出ても、「だから言ったじゃない」と言えることはあまりない。成功した時には成功者のみが語る資格があり、失敗した時には失敗しなかったものが語る資格があるわけだから。

とは言え、悲観的否定的な立場から何かが生まれるということはない。成功を夢見ることなしで、何かを行うということはないからだ。

ということもあるのだが、「悲観的否定的な立場」というのは、「傍観者の立場」ではないかとも思う。何かを自分でするわけじゃなく、批評するだけという立場だ。

何かを自分でする時は、成功を夢見て行う。しかし、自分でやってない時は、成功しようが失敗しようが構わない。いや、むしろ失敗してくれた方がいい。その方が賢そうにふるまえるからだ。実行者は「用心」はしても「悲観」はしない。

これは世の中にあまたある「ネット思想」の類も同じで、ネウヨ、ネサヨは実際には何もしない人達だ。私も2ちゃんではいろいろなことを書かれたが、実際に何かをされたことはただの一度もない。右翼は電話して来たことがあるが、ネウヨからの電話はない。ネウヨなんて、ネットがなければただのヲタだ。嫌韓厨はソウルの街で同じことが出来るか?私はソウルで「竹島はぁ!」とかってやったがな。周囲があわてて止めたけど。そーゆー「武勇伝」はいくらでもあるけど、私にとっては武勇伝でも何でもなく、日常に過ぎない。

ネットで政治やメディアを批判する人は多い。しかし、そんなに不満があるのだったら、自分で行動すればいいと思う。「政治活動」も「新メディア創成」も、今時は自分で手を動かせば、昔よりは楽に効率的にできる。blogで政治家の悪口を書いて喜ぶだけじゃなくて、もっと具体的な行動は可能だ。

私が10年間Linuxの「こみゅにてぃ活動」なるもので得をしたことは何もない。しかし、「コツコツとやり続ければ結果はついて来る」ということを実感を持って知ることが出来たのは、唯一の「成果」だ。勝手に暗い未来を想像して悲観的になっていては、そんな「教訓」すら得ることはなかっただろう。