いよいよ浅草である。
なぜ、いよいよなのか。そもそも「いよいよ」というのはどういう意味なのか、「いよ」が反復されることにはどんな意味があるのだろうか。その「いよ」とはいったい何だろうか。
# わかる人にだけわかる出だしだ
実際なんで「いよいよ」かと言えば、浅草はうちからはちょっと遠いので、なかなか制限時間内に行けないのだ。そう言えば、この「なかなか」って何だろうな。
アメ横を経由して、上野駅前に行く。mixi某コミュの宴会候補地が上野の「聚楽台」であるので、まずその場所の様子を写真に撮る。
元の聚楽レストランのあったところは、ヨドバシになるらしく、更地になっている。あの昭和の香りのレストランは既にない。
その向かいは「レストランじゅらく」がある。
候補地となっているのはここではなく、「上野百貨店」のところの「レストラン聚楽台」であろう。
ここはもう随分と前から建て替えという話があって、店舗はほとんどなくなっている。
「建築計画のお知らせ」を見ても、着工予定は平成15年5月1日。完了予定は平成17年4月30日となっている。いったい何がどうなっているのやら。まぁそんなわけで「レストラン聚楽台」は健在である。
ここから浅草通りをひたすら歩く。まずあるのは下谷神社。
このあたりから仏壇屋が増えて来る。稲荷町は「仏壇の秋葉原」だと思って間違いはない。
そのまま行くと、「かっぱ橋道具街通り」がある。
かっぱ橋は要するに「厨房機器の秋葉原」である。ここは私にとっては本家秋葉よりもずっと危険な街なので、「気絶」しないように気をつけなければならないが、幸いなことに朝早いこともあって店舗は開いてない。
さらにどんどん歩くと、「雷門一丁目」なる地名になる。このまま歩いて行けば雷門に… 行けない。そのまま行くと「駒形橋」に出てしまう。雷門は「雷門通り」にあり、浅草通りにあるわけではなく、途中で北に進路変更しなくてはならない。
この辺の地名は実にややこしく、稲荷町を過ぎたあたりから、商店やビルは「浅草」を主張しはじめる(住所としては東上野)。通りは「浅草通り」であるから、このまま浅草に行くと思われるし実際浅草に行くのであるが、大方の人が「浅草」と認識する雷門や六区には直接は行けない。そのくせ、「雷門」だの「西浅草」だのという地名になったりする。似たような現象は「銀座」や「田園調布」も同じで、やたらにエリアが広いくせに、大方の人々が期待している場所ではない。「ブランド信仰」やら「あやかり」の精神なのだろう。
不満を持ちつつ、せっかく浅草に来たのだから雷門の方へ行こうかと思い、雷門通りまで行きかけたのだが、馬鹿らしくなって引き返した。それでなくても写真を撮る時に結構なタイムロスをしているので、先を急ぎたいし、雷門は何度も来ているし、まだ店の開く時間でもない。
ということで、駒形橋まで行き、そこから帰り道だ。
駒形橋から「江戸通り」に折れてしばらく行くと、「駒形どぜう」がある。
有名などぜう屋だ。ちなみに、駒形どぜうは渋谷(センター街の奥の方)にもあるので、銀座線の果てと果てにあるということになる。駒形の駒形どぜう(もちろんこっちが本店)は悪太郎と行った覚えがあるが、服にタレの臭いが染みついて、何日か匂った覚えがある。あれは焼肉以上だ。
その先には「バンダイ」の本社がある。この前には、バンダイ絡みのいろんなキャラクタが並んでいる。
「バンダイ」という目で見れば違和感はないのだが、「ドラえもん」と「あんぱんマン」が並んでいるところや、「ウルトラマン」と「宇宙戦艦ヤマト」が並んでいるのは、なんとなくシュールとも思う。
江戸通りを挟んで向かい側には、「バンプレスト」がある。ここのロビーにはバンプレスト系のおもちゃが並んでいて、待っている間も退屈しない。まぁ最近は打合せなんて行かないけど。
そのまま行けば「厩橋」これは先日通っている。つーか、後はこの前と同じコースだ。蔵前まで出たら、蔵前橋通りに出て帰る。
蔵前のところには「蛇善」がある。
ここは「蛇」をはじめ、いろんな「精のつきそうなもの」を売っているところ。この日記を書くために調べたら、なんとホームページがあった。
先日あたりの日記だと、途中に「おかず横丁」やら「キッチンレタス」への寄り道があるのだが、おかず横丁なんて何もないのがわかっているし、キッチンレタスは道を外れる。時間もかかったことなので、まっすぐ帰る。
途中、「鳥越」の説明板があるので読んでみると、おかず横丁から「佐竹商店街」にかけてのエリアは、昔はかなりの繁華街だったことを知る。「浅草六区に次ぐ盛り場であった」という文言を見て興味がわいて来たので、次はあのあたりに行ってみようと思う。