「24時間テレビ」

24時間テレビをやってたらしい。

テレビ見ないし、いわゆる福祉な世界から離れて久しいんで、「らしい」としか言えないところがアレだけど。

で、この時期になると、24時間テレビにどーだこーだと「にわか評論家」達があれこれ言う。まぁそれは今に始まったことじゃなくて、始まった時からそうだった。

でも、そいつらって、典型的な中2だなーとしか思えない。まぁ叩きやすい対象だってのがあるのかも知れんが。

テレビの仕組や福祉の仕組を知っていれば、「テレビでやるチャリティー番組」は、日本の諸々との互換性を考えれば、ああなるしかないとわかりそうなものだ。

初期の頃には、「そんな番組なんてやらないで、スポンサから金集めて寄付すりゃいーじゃん」的な話が多かった。一見もっともに見えるけど、それでは余程のことがないと続かない。なぜなら、そういった金の使い方は「スポンサ」にとっては「ドブに金捨ててる」のと同じだからだ。「人知れず金を出す」というのは美徳には違いないけれど、「その金を出すことによるメリット」についての説明がつかない。「メリットを求めるなんて偽善だろ」という言い方もあるだろうが、「親が寄付して小遣いが少ない」という状態を、ストレートに受け入れることが出来る人は少ないはずだ。営利法人たる株式会社には、金の使途については説明責任があるのだ。

おまけに、「寄付」ってのは利益処分とみなされやすいから、「スポンサから金集めて寄付」というところに、「スポンサ」として金を出すと、利益処分とみなされやすい。これはこれで面倒臭い。免税組織ならそういった利益処分はちゃんと免税になるのだけど、テレビ局は免税組織じゃない。

それを思えば、純粋に「番組のスポンサ」となって「広告費」として金を払えば、間接的な貢献ができる。おまけに「広告」なんだから、説明責任を果しやすい。

「いかにもな演出」にあれこれ言う人もいる。まー、確かにそれは「あざとい」と思うけど、じゃあ何をやれば世間は納得してくれるかと言えば、結局あの辺に落着くしかない。何しろ「テレビ」なんだから、絵がないとね。それに、しょせん「テレビ」なんだから、直接的な効果なんて「イメージ」だけだ。となると、「つかみ」になればそれで上々とか考えれば、あれはあれでいいセンだ。

とかって理屈だの仕組だのの話はいいとしてもだ、

あれが偽善だと言う奴は普段どれくらい善行してるんだ?

とつっこみたい。あれだけ「馬鹿馬鹿しい」と批判を浴びながらも、結局年間数億の寄付を毎年やってるってのは、それはそれで価値がある。それに勝るものが提供できなきゃ、批判する意味はないだろ。あの金はけっこうありがたいものだよ。