毎食吉野家は飽きるだろ

「日産車」売れない7つの理由

昨日はトヨタで今日は日産とゆーわけでもないけど。

ぐちゃぐちゃいろいろ理由が7つも挙がっているけど、私が一番大きいなと思うのは、「魅力のある車がない」からだと思う。実際、日産の車はやると言われても欲しいとは思わない。ま、スカイラインやフェアレディは別格だけど、それ以外は「金やるから持ってけ」と思う。

これは実は日産に限らず、トヨタでも同じ。私は今の車を選ぶ時にいろいろ悩んだのだけど、その時に思ったのは「国産車にロクなもんなし」だった。魅力を感じるようなポイントを持った車は、国産車にはなかなかない。かと言って外車だとメンテナンスの問題があって微妙だった。そんなわけで、国産車では「尖っている」方であるインプレッサ(WRX)を選んだのだった。

この話は、車に限らず「ちょっと値のはる、ちょっと趣味性のある商品」はみんな同じだ。楽器なんてそうだし、そこまで行かなくてもちょっとした雑貨でもそうだったりする。

工業製品の基本は「早い、安い、うまい」の「吉野家スタイル」だ。安く、性能そこそこのものが手に入るのがいいとされている。確かに大量消費するものであれば、「安くて程々」というのは非常に重要なポイントだ。「普段使いのもの」もたいていそうだ。もちろん「こだわりの××」がないわけじゃないけど、それは少数派。日本製としてあふれているものは、「牛丼」ばかりだ。

「牛丼」とあえて言うのは意味があって、どんなに「早い、安い、うまい」でも、毎食牛丼というわけには行かない。栄養的に云々という話を無視するとしても、そういったことが問題になる前に「牛丼」には飽きてしまう。「それは同じ味だからだよ」と言っても、じゃあ毎日「すき家」「まくど」「王将」等を巡回していればいいかと言えば、やっぱりそれでも飽きてしまう。

結局、人は衣食住がそこそこのレベルになってしまうと、「費用最適化」の結果に飽きてしまうわけだ。現代の都市では贅沢品になってしまった「車」に「早い、安い、うまい」を適用されてしまうのは、「丸ビルで吉野家」みたいな気分になってしまうわけだ。

経営を合理化すると、普通にやればどうやっても「吉野家」になってしまう。日産などはそうなってしまったのだろう。ところが、車なんて言う贅沢品に「吉野家」を求める人はいない。「吉野家の車」が許されるのは、車が生活必需品である田舎だけだ。

そろそろ日本のメーカは「贅沢品なら贅沢に、優雅に」ということを身につけるべきだと思う。