選択肢は「Yes」か「はい」である

YesなくしてNoなしより、

さらに元ネタは、

俺が今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ

なんつーか、あまりに冷めてる「25歳」なので、弾さんがつっこんでいる。この「25歳」は、みんなが「はい」と答えることに疑問を呈している。まるで中学2年生だな。

基本的に私が「やるかどうか」を問われた時の答えは、「Yes」か「はい」だ。つまり、基本的には肯定的に答える。なんでそうかと言えば、まぁたいていのことが「Yes」か「はい」しか選択肢がないということもあるのだが、もうそれに慣れてしまったから、「Yes」か「はい」で済むようにいろいろと作って来たということがある。だいたい、せっかく金になりそうな話が来て、否定的答えなんてもったいないじゃん。

# そーゆー意味でペーペーのサラリーマンって気楽だね

相手の要求がやれそうなことであれば、「Yes」か「はい」と答えればいい。だから、相手がそういった要求を出すように持って行けばいい。たいていの要求というのは、無茶な物理的制約がない限りは、「頑張ればできる」ものだ。逆に言えば、「No」と答えるしかないような土俵には、首をつっこまないことだ。そして、そんな土俵の選別が面倒であるなら、「何でも屋」になればいい。なーに、極端に無茶な土俵だったら、そもそもお呼びがかからない。

無茶な物理的な制約がある時は、「出来るか出来ないかと言われれば出来ますが、その制約条件では無理です」と答えるものであって、「No」ではない。弾さんが言うように「ごめんなさい」と答えるわけだ。

まぁ駆け引きとして難色を示すことはあるけどね。