Debianはマイナーだったよ

2020年にもなってこのネタでエントリ書くことになるとは思わなかったが…

昨日今日Linuxを使い始めた奴は知らんだろうが、「ORCA」でDebianを採用したのは、実に2000年当時には「マイナー」だったからだよ。つまりひどくも何ともない、重要なポイントだったのだ。

元になった日経メディカルの記事、書いたのを見ると山崎記者じゃん。山崎記者ってかつて日経ITProでOSS関係の記事をよく書いていた「高橋信頼記者」の紹介で初めて会った人で… つまりはよく知っている記者だ。そーいやーその時に「人の命の儚さ」とかって話をしたなぁ。信頼さんが一番儚かったか…もう日経BPでよく知っている現役記者も減ってしまったので、割と貴重かも知れない。その後何度か関わりがあって、TwitterでもFacebookでもつながっている。つまりは私やOSS界隈とはそれくらいの距離にいる記者である。つまり、件のツイートにつながっている人達があれこれ言っていることは、全くの的外れである。

インタビュー受けている一海ちゃんは件の記事にもあるように、日医総研にいた。私と同じ頃にいて同じプロジェクトに関わっているので、もちろんよく知っている。当時私が「ORCA部屋」に顔を出すと、挨拶代わりにパソコンのスイッチを箒の柄で押したりしてたもんだ。近頃は「デプロイ王子」とか言われてるようだがw

件の「ORCA」については昔いろいろ書いている(もう12年も前だ)ので、そっちを読んで欲しい。

何もなく私が「日経メディカル」の記者を紹介されるわけもないので、要するにそーゆーことである。つまり、山崎記者はこの辺の流れはみんな知っているのである。

なので、彼が「マイナーなLinux OS」と書いているのは、それなりに理解した上のことであるし、おそらくは私の話を意識してのことである。

ORCAのアーキテクチャ(Debian)

この中で私ははっきり書いている。「Debianの採用理由はマイナーであるから」と。

細かいことはリンク先を読んでもらえればそれでいい。

まぁそんなわけで、件の「これはひどい」は何重にも勘違いをしている。何の背景も知らずに「ひどい」と言うのは勝手なんだが、「作者の気持ち」を理解してないよなぁとゆーのは残念である。

PS.

歴史的背景がわからない昨日今日Linuxを始めた人達のために説明しておくと、その当時のDebianは本当に「通」のためのものだった。時代はUbuntuなんてものが出て来るはるか昔だ。

「stable」というものは存在していたのだが、あまりにストイックなリリーススケジュールのため、「新しいソフト」は全く入ってなかった。収録されているソフトも、たいてい版が古い。ある意味安定しているのでウェブサーバとかに使うのは良いのだけど、いろいろ新しいものを試したいとか、件のシステムのように新しいソフトがあることを期待するものに使うには容易ではなかった。それ故、本気でインターネットのサーバを作る人達以外には、「マイナー」なものだった。業務システムの基幹であるデータベースとかも、古い版しかなかった。

そこでそういったものを使いたい人達は「sid」と呼ばれる不安定な版を使うことになる。「漢はsid」とゆーのが常識であった。私も件のシステムを開発する時はsidの上であった。

ところがこのsidとゆーのは厄介なもので、新しいソフトの新しい版が入っているのは良いのだが、「とにかく自分の作ったdebをリポジトリに上げただけ」みたいなものなので、リリースに必要な作業は全くされていない。たとえば、何か依存関係にあるソフト版を要求しているのが、他のソフトとは違うとかザラにあった。また、そういったものなので、毎日のようにアップグレードがあった。ログインすると最初の作業は、

# apt-get update; apt-get upgrade

であった。つまり、最新を入れるのだ。そして、いろいろエラーが出ても気にしない。とても漢らしいものだった。当時は「漢はsid」とか言っていた。

その辺がいろいろアレだったとゆーことで出て来たのがUbuntuである。Ubuntuはざっと言ってしまえば「sidにリリースコントロールをしたもの」なのだ。

そんなものだから、元々マトモな解説書なんてのは存在しない。

こいつがほぼ唯一で、内容はとてもハイレベル()であった。こんなものがマイナーでなかったら、それこそ宇宙の法則が乱れるわ。

そーゆーのが「当時」の状況なのである。その数年後には随分とマシな世界になったのだが、それは実に件のシステムによるところが大きい。それもどちらかと言えばネガティブな理由なのだけど。