美倉橋通り

このエントリを外に公開したら、多分Googleではかなり上位になるだろう。

昨日の散歩の時に、鳥越付近は昔は浅草六区に次ぐ繁華街だったという看板を読んだ。

このページにその内容がある。

前に「おかず横丁」について書いた時に、典型的なダメな商店街だということを書いた。あのあたり、どう言おうと完全に寂れてしまって往時の面影はまるでない。件の解説に出ている「佐竹商店街」にしても、シャッター商店街と言う程ではないがかなり寂れていて、「浅草六区に次ぐ」なんてレベルじゃない。それと並んで書かれているのが「美倉橋通り」である。

じゃあ残るはこの「美倉橋通り」を見ることだと思い、ぐぐるのだが、ほとんど何も出て来ない。「美倉橋通り」について書かれたページは5つ。そのうち2つは件の看板の引き写し、後の3つはいわゆる古文書。「美倉橋通り」で出て来る残りは、「倉橋○○」という人名に関するもので、本来のものとは関係がない。つまり、ほぼ情報が0なのである。

「美倉橋」というのは「清洲橋通り」にある、「神田川」にかかる橋だ。

美倉橋美倉橋南詰のトイレ

都内の「○○橋通り」というのは、たいていその橋に向かう道なので、とりあえず近くに行ってみればわかるかも知れないと思い、美倉橋を目指して行く。

ところで、「清洲橋通り」なのだが、これはうちから見ると、「中央通り」よりも近い通りだ。日記でも度々登場している通りだが、ほとんどが帰り道に横切るくらいの扱いである。もうすぐそこなのだ。神田川もそう遠くないので、美倉橋はぜんぜん遠くない(多分一番近い橋だ)。また、うちから「蔵前橋通り」を行って清洲橋通りまでの道はあまり面白いものもないので、今日は「日本橋」方面から行くことにした。

今日は練塀町の新しい道を通り、ヨドバシの前をワシントンホテルの方に抜ける。角のところにロケットがあるはずなんだが、更地になっていた。

ロケット本店跡ロケット本店跡の張り紙

今まで秋葉原駅の北側ばかり開発していたのだが、いよいよ南側も再開発のようだ。

そのまま、和泉橋を渡って少し昭和通りを行き、「水天宮通り」に入る。先日、こっちの方に行った時に和泉橋付近は昔は繊維の街だったとゆー話を書いたのだが、現在はそれは岩本町〜小伝馬町あたりにあると思った方がいいと気がついた。もっとも、岩本町付近のそれはほとんど「廃虚」と言った方がいいものが多いし、小伝馬町にも廃虚的な建物(ラジデパ風味と言ってもいい)があるのだが、何にせよ和泉橋付近よりも南側には繊維街があるようだ。このあたりにはいろいろあるようだ。

岩本町小伝馬町付近鞍掛橋付近

小伝馬町から「江戸通り」に折れて「馬喰町」に向かう。「江戸通り? はぁ?」と思ったのだが、地図で見ると江戸通りは浅草方面から浅草橋を経由して日本橋に行く道らしい。

馬喰町から清洲橋通りに折れて帰り道とする。ここで美倉橋を渡り、「キッチンレタス」でサンドイッチを買って家に戻る。

問題の「美倉橋通り」であるが、美倉橋の南側は「柳原通り」と呼ばれる通りである。また、東京の「○○橋通り」は「向かう道」であると共に「そのまま渡る道」でもあるので、これは違うだろうと思われる。同じ原理で北側の道も違うだろうと思われるし、ここには特に商店街だったっぽいなごりはない。となると、結局のところ現在「清洲橋通り」と呼ばれている道の一部がこう呼ばれたのではないだろうか? だいたい「清洲橋」というのは、日本橋のはるか向こうの橋だから、この辺の人にしてみれば「そりゃなんじゃ?」としか思えないはずだ。となると、かつて繁華街であったと言われる美倉橋通りとは、美倉橋から蔵前橋通りに至るあたりではないだろうか? この通りであれば、そこそこの商店街だったので「往時は繁華街」というのは、わからんでもない。

「美倉橋通り」付近の酒屋