標準化委員会のショボい話

新野さんのエントリ

EPUB 3のISO国際標準化作業で、日本が資金難による離脱の可能性。JEPAが支援募金を呼びかけ

が話題になっている。

良くないことだなーと思いつつ、個人的にはそれ程驚くことでもない。これは別に「EPUB3」に限った話ではないからだ。

実はこの手の「標準化委員会」の内実はショボいものだ。先日私が辞めたCOBOL委員会も似たようなもので、資金と人材の不足は深刻である。これはJISの委員会もそうだし、ISOの方もそうだ。歴史的な事情から、COBOLではISOの前にINCITSとゆー委員会があるのだけど、そっちもショボい。どんだけショボいかと言えば、「委員がちょっと欠席したり早退したりすると、委員会の定足数が満たせない」とゆーことが起きてしまうくらいショボい(過去に実際にあった)。

なんでショボくなるか理由を挙げるとキリがないのだけど、こういった委員会は基本的に

自腹手弁当

であるというのが小さくないと思う。委員の活動の人件費は計上されていないし、活動に必要な交通費もなければ、機械的な「作業」のための外注費もない。それなりのスキルのある人達を長時間拘束し、高度な知識と判断を要求する作業をすると共に、校正や翻訳と言った外注でも良いような作業までしなければならない。委員の負担は小さくないのだが、それに対するペイはない。これは日本だけではなくて、国際委員会でも同じ。

さらに日本の場合は、日本委員会(IT系の規格委員会だと情報処理学会規格調査会)があるのだけど、その委員になるためには、

賛助会費

を払わなければならないと。リンク先を見ればわかるのだが、1口70万もする。これを払わないと、正式な「委員」にならない(払わないと「オブザーバー」的な身分になる)のだけど、払うと(払わなくても)漏れなく「作業」が待っていて、それは自腹手弁当になる。もちろんそういった金が払える企業であれば、委員個人が自腹手弁当である必要はないのだけど、「作業の負担」がかかることは同じだ。どんだけドMだよとゆーところ。確か私が辞める頃には、委員会の時に出るコーヒー代もなくなるって話だったような。

これが、いろんな企業が自分のところの仕様を規格に入れたいと思っているような「熱い」規格であれば、その会費には意味がある。自分のところで先行している仕様を入れることが出来れば、いろんな意味で有利になる。ところが、全ての「規格」がそういったものではない。それよりは、「標準化動向待ち」なものが少なくない。つまり、

「誰か決めて!」

状態の規格が少なくないのだ。EPUB3の事情はよくわからないのだけど、そこまで気合いを入れるべきビジネス上のメリットが見られないとゆーことを思うスポンサーが多いと言うことだろう。

もちろん「縦書き」とか「ルビ」とかゆー、日本固有の文書規格を標準に入れたいとゆーのは、技術者としては意味があることだ。でも、それが「ビジネスメリット」として考えられるかとゆーのは、それぞれの企業次第だ。「日本固有の仕様は、国際規格の隙間に入れれば良い」とゆー判断をするところがあっても、何ら不思議ではない。

結局のところ、こういった「ショボい話」は、「(国際)規格」とゆーものに対して、「日本国」としてどう考えるかとゆー問題である。「規格」が「日本の国益」を左右するようなものであれば、「自腹手弁当」みたいなことにしないで、それなりの人に国から委員を任命して、いろいろな費用を投入するといったことをしなければならない。「ビジネス上のメリットがない」とゆー判断で委員(会)をバックアップしないとゆーことになるのは、今の景気を考えれば何ら不思議ではない。

おそらくこの辺には、歴史的な事情とか大人の事情とかあるのだろうけど、こういった「悲鳴」が上がるとゆーのは、もうそういったものが破綻しているのだと考えた方が良いだろうと思う。「ものづくり日本()」とか言うくらいであれば、こういった基礎的なところにも国費を投じるべきだ。