「バランスの取れた意見のブログ」はゴミに過ぎない

個人の力にはしょせん限界がある。

いくらバランスを取ろうにも、あくまでも「個人の視点」に過ぎないし、その「バランス」に対する客観的な指標があるわけでもない。簡単に言えば、

バランスなんてそうそう取れない

と思っていい。

その「そうそう取れない」バランスを取ろうとすると、どうやっても「角を矯める」ことになる。

厳しいこと、図星なこと、鋭いことは、往々にして偏見や偏向を伴う。いや、偏見や偏向を伴うがゆえに、鋭くなる。

ネットに公開される文書は多い。そして、人の時間は常に有限だ。そうなると、毒にも薬にもならないとか、薬になってもたいした効果がないとかというものを読む暇はない。毒でも薬でもいいから、バシっと効くものを的確に選んで読む方が、時間のムダがない。そう思うと、「バランスの取れた意見」なんてものを読んでる時間なぞない。

確かに一見バランスが取れた意見のように見えるものは少なくない。とゆーか、バランスを崩す意図を持って書いてない文章は、なるべくバランスが取れたように書こうとしている。

でも、それは「個人」として、特別に査読を受けずに公開されている文章であるなら、それは「バランスが取れているように見える」だけであって、真のバランスではないと思った方が良い。むしろ、そうやって一見バランスが取れているように見えるものを、バランスが取れていると勘違いして読んでしまうことの方が有害だ。

とか考えると、「バランスを取る」ことは、むしろ読み手の責任であって、書き手の責任ではない。「個人の書いて査読を受けてないもの」にバランスを期待するのがそもそもの間違いだし、そう努めることは結局誰の特にもならない。毒にも薬にもならない、ネットに漂うゴミに過ぎない。

そんな中途半端なものよりは、「これは俺の視点だ」「俺の立ち位置はこうだ」とはっきりさせて、「バランス」は読み手にお任せした方がいいし、読む方もそのつもりで読むべきだ。