大衆が右傾化するのは当然である

以前に、「メディアが左傾に見えるのは当然である」という話を書いた。今回はこの逆である。

ネットに限らず、メディアを通して見える「国民の姿」は、ここ近年急速に右傾化民族主義化しているように見える。かつてはネットはサヨのスクツであったのだが、今やウヨのスクツである。近隣諸国に対する態度が強硬である政治家ほど評価が高い。「日の丸君が代」に関しての締めつけも厳しい。という例を挙げて行くとキリがない。

メディアを通さなくても、周囲の人達の行動論調を見ていると、やはり右傾化民族主義化しているように見える。いや、他人を見なくても自分も「昔と比べりゃかなり右になったな」という気がする。

また、これは日本に限らない。特アは「お前が言うな」というくらい民族主義化しているし、アメリカも911以降かなり極端になっているし、ヨーロッパもそうだ。フランスなんてえらいこっちゃ。

このような風潮を世の知識人、特に「中道よりも左側」あたりの人達は、嘆く。そればかりではなく、もうちょっと右側の人達、場合によっては右側の論客までもが危機感を感じているフシすらある。

しかし、危険かどうかは別にして、これは「当然のこと」だととらえるべきである。そのキーは「国際化」だ。

海外が身近になった人、たとえばいろんな事情で海外に住むことになった人や、仕事や遊びで海外に友人知人のできた人はわかるだろう。特に先入観を持っていない「海外」が身近になると、まずはその国に「かぶれ」てしまい、その次には「反発」をする。

最初はその国で見ること聞くことの全てが、「日本のそれ」よりも優れているように見える。いろんなものが「いいなぁ」と思えて来る。しかし、しばらく関わっていると、「日本の方がいいじゃん」と思えることが見えて来る。あるいは何気ない「外人扱い」に反発を感じるようになる。「文化の違い」は、心地良いものとそうでないものとあることがわかるようになる。そうしているうちに、だんだん「自分は日本人である」ということを自覚して来るのだ。

「日本人としての自覚」を持つと、「日本という依りどころ」の大切さを感じて来る。確かに日本という国家は、あまり国民のためになることをしてくれないように見える。しかし、そんなことは実は諸外国でも大差ない。もちろん随分と「国家が国民を愛している」ように見える国もあるが、結果として大差ない。社会保障のいい国は重税だったりする。一般的日本人よりもずっと貧乏(=社会保証のない)な国の国民が自国を愛していたりする。

そんなことにまで考えが及ぶ「愛国者」は少ないかも知れないが、「日本という依りどころ」がそうそうダメなものでなく、「日本人としての自覚を満足させる程度」には十分であることから、民族主義的なものが自己肯定されるようになる。

などいうことまで考えなくても、もっとわかりやすい例がある。それはオリンピックを始めとする「国際大会」だ。

「国際大会」の場で日本人が活躍することを不快に思う人は少ないだろう。そして、「優勝」ともなると、「日の丸君が代」である。普段、「日の丸君が代」に嫌悪感を持つ人、「卒業式の国家斉唱では起立なんかしないぞ!」と思っている人であっても、オリンピックで金メダルの時の「日の丸君が代」についてあれこれ言う人はそう多くない(いなくもないが)。「国際化」して行くと、このような場がだんだん増えて行く。そうすると、だんだん「良いこと」と民族主義的なものとがリンクして行く。直接関係なくても、記憶の中の「ラベル」として有効になって行く。

世の中は急速に国際化して行く。ネットの中では特にそうだ。最初はみんな「外国っていいなぁ」とか思いながら「泳ぐ」わけであるが、そのうち「日本人としてのアイデンティティ」を意識するようになって行く。そうすれば、だんだん右傾化民族主義化して行くのは、ある種当然の結果だ。

当然の結果であるから、右傾化民族主義化を嘆いたり批判したり、食い止めたりしようとするのは無駄である。それに危機感を感じる人なら、「良質化」させることを考えるべきである。