「インターネット新聞」の大多数はなぜつまらないか

※ここで言う「インターネット新聞」はインターネット専業の新聞であって、既存新聞のインターネット版やそれらから記事配信を受けているポータルサイト等のことではない

昨日も参照した過去日記、「メディアが左傾に見えるのは当然である」の続き。

あの時に書いたのは「秀逸な記事」の話であるが、今回は「秀逸でない記事」について。

多くの「インターネット新聞」は読むだけ時間のムダである。確かに一般新聞よりもはるかに秀逸な記事もあるのだが、ほとんどの記事は「署名付き便所の落書き」レベルである。時間をかけて読むに値する記事は、ほとんどないと言っても良い。「2ちゃんねる」にたまに面白かったりためになったりするカキコがあるというのと大差ないレベルだ。

なぜかということを考えながら読んでみると、非常に単純なことに気がつく。それは

記者が取材した記事がほとんどない

からである。つまり、ほとんどの記事が、他のメディアを通して得た情報を元に、その解説や分析、あるいは論評をした記事なのである。つまり二次情報だ。

「解説や分析、あるいは論評」に価値がないわけではない。良質のそれは、時間軸で動いて行く現象を追いかけて行く労力を省いてくれる。「早い話どうよ?」ということに答えてくれる。あるいは見落しがちな背景や、ごく一部のメディアに小さく出ているに過ぎない事実も拾い上げられていれば、隠れていたものを表に出すこともできる。

しかし、「インターネット新聞」のそれは、ほとんどが役に立たない。たいていがサヨがかった「思想膿漏」な論評や意見表明がほとんどなのだ。前のエントリで「良質のメディアは左傾に見える」ということを言ったが、「左傾メディアが良質」とは限らないのである。まぁ取材をちゃんとしておけば、朝日新聞くらいにはなるのかも知れないが、「市民メディア」にそれは無理だ。

これは別に「左傾」だからというわけではない。「右傾」であっても同じだし、他の思想信条宗教の類でも同じだ。満足な一次情報を持たない人達に、特に公平中立ということを謳わなくて「記者」を集めれば、「特定の思想の宣伝記事」ばかりになるのは明白なのだ。特に「大きそうな看板の下で記事を書く」ということは、「思想膿漏な人達」にとってはパラダイスなのだから、そういった人達の集う場になってしまう。

普通の新聞なら「編集デスク」なるところで、変な記事は蹴られるものだ。何を以って是で何を以って非であるかというのは、それぞれのメディアの方針であるから、そこでメディアの色が決まる。これは「看板の責任」なのだから当然だ。

しかし、どの「インターネット新聞」も、そういった「編集」行為を「検閲」と呼ばれるのを嫌っているのか、あまり「思想膿漏」についての対応をしてないように見える(やっているのかも知れないが、記事を見る限りはそう見える)。その結果、紙面は思想膿漏の病巣となっている。

そんなことを考えると、「インターネット新聞」なるものが、信用される真の「新聞」になるためには、

  • 一次情報の重視
  • 責任ある編集
  • 編集方針の具体的な明示

が不可欠である。新しいメディアなのだから、既存新聞のように過去の実績に甘えられるものではないのだから、より厳格に行うべきだ。

「CGMは編集しないもの」という主張もあるのだろうが、「文字情報は情報のエッセンス」だということも忘れてはならないのだ。

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