後進の育て方

ここ数日、そんな話をすることが多い。

私が今の会社を辞める理由の一つが「後進を育てさせてもらえない」ということなので、この辺についていろいろ思うところがある。

若い奴、それも白紙に近い奴が来た時、何を教えるべきであるか。そういった話だ。

もちろん当座に使うべき技術を教える。これは当然のことである。早く使いものになる人材になってくれないと困るわけだから、「今」をなるべく早くキャッチアップしてもらわないと困る。これはリテラシー教育のようなものだから、多少甘やかし気味でもいいから、ガンガン叩き込む。

まーこの辺は当然でしかないし、誰でもできる。当然どこででもやっている。やってなかったらお話にならない。

その後に教えること、特に自分の継承者と思う奴に教えるべきことは何であるか。これは私は「哲学」だろうと思っている。

前にも書いたように「技術」は虚しい。前の話と違ってここでの虚しさの第一は、「すぐ陳腐化してしまう」ということである。だから、いかに「自分の継承者」であろうとも、「自分の技術を教え込む」というのはナンセンスである。教え終わった頃には陳腐化している。

私の今の技術は、私が過去20年くらいのうちに身につけたものであるから、最古の技術は20年以上前の技術だ。今年の新人は多分何事もなければ、これから約40年にわたってこの世界で仕事をして行く。となると、いかに今まで20年間生きた技術であっても、この先40年大丈夫かと言われると自信がない。「40年」と言えば、COBOLという言語の年齢に匹敵するのだ。いかに長い時間であるかがわかる。

また「技術」と言うのは、必要なら「これから勉強」することも可能なら、「金を積んで買って来る」ことも可能だ。だから、技術そのものを「教え込む」ことは必要がない。本人が必要に応じて、勉強するなり買って来るなりパクって来るなりすればいい。

そういった「虚しい」ことよりは、「哲学」と言うか「問題への取り組み方」「物の見方」のようなものを教えるべきだ。これはうまくすれば、何年たっても古くならない。また、ものによっては業界を越えて生きて行く。

ではこういったものをどうやって教えるかという話になるのだが、私はこれは一種の「芸の道」みたいなもので、「一子相伝」に近い形で教えるしかないものだと思う。具体的には、まずは「師匠の鞄持ち」みたいなことをさせ、一緒にいる時間を持つことで身につけて行くのではないかと思う。

一緒にいる時間が持てれば、いろんな話ができるだけではなく、いろんなことが一緒に体験させられる。師匠が偉い人に会う時には、弟子も一緒に会える。「偉い人」が何かを教えてくれるとか、コネクションになるとかとは関係なく、「そういった場にいる」ということが身になる。師匠がトラブルにハマれば、弟子も一緒に悩む。

「哲学」というのは、そんなことをしているうちに、だんだんと伝わって行くものではないだろうか。

世襲のタレントとか政治家が多い昨今であるが、それは単に「親の七光り」というだけではなく、そういった親と一緒に生活することによって、いろんなものが伝わっているせいだろう。立ち居振舞いの類は、「技術」として教えるのは難しいし、「帝王教育」なんてものもそうだ。そしてもちろんその「哲学」もである。

確かに、こんなことをやって育てるのは効率が悪い。しかし、マスの教育で伝わるものは、たかが知れているし、それは文字通り「教科書通り」のものでしかない。教科書の中には「これからどう歩くか」ということは書かれていない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です