「偽善」はもっと評価されるべき

ワタミの事件の件で、

今ワタミ会長に最も送りたいマザー・テレサの言葉「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」

という話が。

この話の主題は全く正しいのであるが、それがゆえに「偽善行為」が不当に貶められるのではないかと危惧する。前にも書いたが、「偽善」は良いことだと思っているからだ。

動機が不純な善行は、「偽善」と呼ばれる。そういった意味で、あーゆー事件を起こしつつ、身近な社員を大事にしないで、寄付行為をするワタミの社長は偽善者の謗りは免れないだろう。でも、あれはむしろ「動機が不純な善行」と言うよりは、

悪行の言い訳

だと断じられてもいい。

そういったことを孕む「偽善」であるが、私は「偽善」はもっと評価されるべきだと思っている。なぜなら、

純度の高い善行より持続可能性が高い

可能性があるからだ。

「偽善」には何らかの「報酬」がある。ビジネス的に得になること、人に良く思われること、そういったことが背景にある。つまり、その「善行」は対象だけではなくて、

自分にメリット

がある。人はたいてい自分のメリットを求めるものなのだから、そのために「善行」を行うことは、持続可能性がある。

対して、「正しい善行」は、そういった「自分のメリット」は少ない程良いものとされている。つまり、何らかの「自己犠牲」が含まれている。「自己犠牲」は美しいことだが、リソースに限りがある。てか、リソースを増やす方向には行かないもの程良いこととされているのだから、リソースが0になったら終わる。つまり、有限なのだ。

だから、純粋な善意で行われるものは、常に持続可能性について意識しなければならない。いわゆる「良い社会事業」の類が立ち行かなるのはそういった理由だと言っていい。「寄付」と「奉仕」で支えられたものはそういった不安定な土台の上にあると言っていい。酷い言い方をすれば、

気の迷い

の一種だ。

「偽善」はそれによって得られるものがある人がやる行為だ。つまり、「商売」みたいなものだから、「商売」が回る限り続く。土台は安定している。もちろんメリットがなくなれば終わってしまうが、「商売」だと思えばそれを何とかするのが経営だ。また、当事者が飽きてしまっても、「商売」は譲渡可能だ。

とか書くと、すぐ「マザーテレサは云々」とか言い出す人がいるんだが、それは「宗教人」を甘く見過ぎだ。たいていの宗教は、善行を

天に宝を積む行為

としている。もちろんキリスト教でもそうで、聖書のここかしこに書かれている。「天に宝を積む行為」は、現世に結果を求めないから、現世しか見えてない人達にとっては自己犠牲的に見えるのだが、「あの世」がある人達にとっては定期積立してるようなものだから、「自分にメリット」のある行為なのだ。まぁ、その「メリット」が何であるか、また「量」に意味があるかどうかは、宗教の種類によって様々なのだが、これについては私はキリスト教的な宗教観しかないから、ここでは深くつっこまない。

動機は何であれ「善行」は方向に間違いがなければ、良い結果をもたらす。てか、良い結果をもたらさなきゃ「善行」じゃない。その評価については、むしろ「偽善」の方が厳しい。「偽善」が評価されるのは、良い結果が出ているからだが、純粋な善行の場合は、「動機が純粋」であれば評価されてしまう。

そういったことを考えたら、「偽善」はもっと評価されるべきだ。だいたい、他人を偽善者だと責める奴は

偽善すらやってない

ことが多いわけで。結果のない善意は結果のある偽善に劣るのだ。

なので、「ワタミの社長」を責める分には、そういった「偽善行為」の部分ではなくて、そういったものを言い訳にしてブラックなことをやって来たことを責める方がフェアだと思う。

PS.

どうも日本語の読解力が低い人が勘違いしてるようだが、↑で「ワタミの社長を認めよ」の類のことは一言も言ってない。「悪い」ことに異論はないが、「偽善」を理由に悪いと言うのは良くないという程度にしか言及してない。弁護する気は更々ない。表題にしても「ワタミ社長の」とかってことは、全く言うつもりはない。なぜなら、彼の行為は、

犯罪行為を隠蔽するための偽善

に過ぎないからだ。「ビジネス」は動機としてアリだろうが、犯罪隠蔽については、

まずその犯罪行為を断罪されろ

と。

PS2.

なんか「タイトルで釣る気満々だろ」とか言われちゃったんだけど、

「啓蒙」「布教」「善行」から離れると、ネットは居心地がいい

を書いた時から、「偽善ってもっと評価されるべきだよなー」と思って、この表題は決めていた。そこにちょうどワタミの件があったんで、書かなきゃなーと思って書いただけで、「ワタミ社長」をネタに釣るとゆー気はさらさらない。

むしろ、冒頭に書いたように、あの一件で

偽善は叩くネタ

みたいな方向になってしまうのは良くないと思うので、「偽善」について全力で弁護した。「偽善」がなくなったら、世の中の善意のほとんどがなくなるし、残りについても「偽善だろう」と決めつけた暴徒にやられないとも限らないからね。

PS3.

キリスト教の救いの要件には善行はない。だから、「救い」のためにいくら善行を積んでも全く意味はない。「天に宝を積む」というのは、そういった文脈で出て来る話ではない。「救い」のためでなくても、「天に宝を積む」ことには価値があるものとされている。ついでに書くと、聖書で禁止されている「偽善」は、

いかにもいいことやってます

的に、見せびらかすためにやる行いのこと。つまり、「いいことしてるフリ」のことであって「利己的な理由で行う善行」のことではない。

この辺、あまり詳しく書くと抹香臭いエントリになるから、これ以上は書かんけど。

PS4.

ワタミとは関係ない話だが、この記事は看過出来ん。

ザンビアを最貧国と報道してバンブーバイクを売ることが「貧しさ」を作っているのではありませんか?

どこが看過出来ないかと言えば、

このバンブーバイク(竹製自転車)はどのような形になるでしょうか。「ザンビアの人たちのために」と社会貢献を全面に出している以上、ビジネスにはなって欲しくありません。「ザンビアの人たちのために」と言いながら、稼ぐことには抵抗はないのでしょうか。とはいっても、無償のボランティアで社会貢献も難しいでしょうから、せめて収益くらいは広く公表されるでしょう。それをせずにザンビアが貧しければ貧しいほどバンブーバイク(竹製自転車)は注目を浴びて、その結果ザンバイクス・ジャパンが儲かるという図式は訳が分からなくなりますから。

むしろこういったフレーズに、タチの悪い偽善を感じる。

嫌儲は善行ではない
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This entry was posted on2月 23rd, 2012 at 13:06:42. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. Responses are currently closed, but you can Trackback..

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