「わからない」は自慢にならないよ

毎度書いてるような気がするんだけど。

今回はござさんのエントリへの反応から。

人月商売が悪だと思っている、イノセントなあなたへ

内容そのものはいろいろ思う人もいるだろうけど、今回はその辺はどうでもいい。ただまぁ、ブコメが酷い。disや反論の類なら、「それも一つの意見」だから価値もあるのだけど、「何を言いたいのかよくわからない」的なブコメが痛々しい。

ござさんの文章が上手いかどうかは、主観なんでこれもどうでもいい。難解かどうかもどうでもいい。問題はその文章を読んで、「何が言いたいのかよくわからない」的なブコメを書いてしまうことだ。

難解だとか読みにくいとか思えば、読む努力をすればいい。その努力のわりに実りを感じないのであれば、スルーしておけばいい。世の中に良い文章、わかりやすい文章、自分の好きな文章なんてのはあふれている。

言い方が不快な人の言葉は聞かなくていい

自分がいいなと思う文章だけ読んでいたって、自分の人生は短過ぎるはずだ。

とは言え、読むというのであれば、

ちゃんと読め

いい加減な読み方をして、「何が言いたいのかよくわからない」なんてのは、単なる馬鹿自慢でしかない。他人の著作物を読んで「よくわからない」と言って良いのは、「わからない」という言葉で対象を否定的に言う程度に見識のある人だけで、高々ブコメでgdgd言うような奴等が言ってしまえば、単なる

馬鹿自慢

にしかならない。書いてる奴は「上から目線」の「評論家」か何かのつもりなんだろうけど、傍から見れば痛々しくさえある。「わからない」なんて言っていいのは、これから何かを教えてもらおうという立場の人(つまりわからない自覚のある人)と、「観客」に見識が「上」だと思われている人が否定的に使う時だけだ。まぁ本当に「偉い評論家先生」であっても、「観客」がそれを理解してなきゃやっぱり馬鹿自慢に見えるので、あんまり使うもんじゃないだろうと思うけど。

本当にわからないんであれば、「後で読む」とかにしてゆっくり読み返してみればいいだけなので、ブコメに「わけがわからない」とか書かない方がいいと思う。

まぁ書く側はわかりやすい文章にする努力をするべきだけど、「らいたー」や「あるふぁぶろがー」は日頃そう心掛けているものだ。それなりの人達が書いた文章が難解なのは、難解にする理由があるか、自分の読解力が不足していると思っておいていい。

そう言えば、作文としてはあまり褒められたことじゃないようだけど、読みにくい文章の方が、読む努力をする分内容は通じるらしいよ。ついでに言えば、「お願い」する時は騒音の中の方がいいらしい。「理解」は目や耳じゃなくて、「脳」がするもんだからね。

PS.

さっき他の人のエントリのコメント見て気がついたんだけど、エントリを書いた人は一々「わかりにくくてすいません」とか謝る必要はないよ。もちろん誤解されないような文章に心掛ける必要はあるんだけど、原稿料や購読料をもらってもいないブログのエントリまで、そんなに気をつかう必要はない。「お客様は神様」ですら、いい加減にしろと言われてるご時世に、客でもない人達に気をつかうことはない。下手な文章だったら読まれない、難解過ぎても読まれない、誤解されても嬉しくない。単にそれだけで、それをどう取るかは書いた人の問題。「わかりにくい」と言われるのが嫌なら、文章の訓練をするべきだけどね。