「海外ニート氏」のblog閉鎖

多分あちこちで書かれていると思うネタなんで、今さらなんだけど。

時々あてこすりのネタで使わせて戴いている、「海外ニート氏」のblogが閉鎖らしい。

海外ニートさんblog閉鎖?騒動

大変申し訳ないが、彼の主張に賛成だとか彼のことを好きだとかということは

1ミリもない

のではあるが、この閉鎖の経緯を見るにつけ、憤りと無力感を感じずにはいられない。

私の主張と彼とは主張は異なる。むしろ、相反すると言ってもいい。彼のスタンスも好きではない。彼のような海外在住者が、「君達目覚めてない日本の労働者は云々」的なことを言うのは、嫌いであるし、卑怯であるとも思っている。まぁ、人間の思うこと、あるいはネットの芸風なので、実際に会えば多分いろいろ共感することもあると思うし、その予感がないわけではないけれど、「ネット上の姿」を見る限り好きではない。

同じように思う人が少なくないことも想像に難くない。とゆーか、それが彼の「芸風」だろう。反発させて主張を届かせる。レトリックとして非常に正しいし、その方が読む方にもメリットは大きい。

つい良い評価を受けようとしてしまう件

「上から目線」の次は「ドヤ顔」か

とは言え、それは諸刃の剣で、激しく反発される。いや、その「激しく反発される」ことがあるからこそ、議論を呼びまた考えさせる。特定の誰かを攻撃する時に、そういったことをされると、された方はたまらないが、「一般論」として「該当者」を攻めるのは論法としてアリだ。まぁ、その結果「嫌いな論客」というレッテルが貼られてしまうのは、まぁ一つの

勲章

であって、本人はむしろ歓迎するところだろう。

そこで話が終わっていれば、件の問題は起きない。

世の中には、そういったものを「恨む」という人種がいる。ネットの上で起きてることなんて、気に入らなきゃスルーしときゃいいだけなのに、なぜかそういった発言者に「反撃」しなければ気がすまない人がいる。ネット上のことはネット上で片付けときゃいいのに、リアルに物理的な攻撃をしかけようとする、物理的な反撃をしようとする奴がいる。まぁ、要するに

キチガイ

がいるのだ。こういった奴に絡まれると、特に自分じゃなくて、自分の家族友人知人取引先あたりにその矛先が向いていたりすると、多少訓練されて強い人間であっても精神に来てしまう。まぁ、攻撃して来る奴等もそのことを知っているから、実際に本人に何かをするよりは、周囲に何かをしたり、「殺害予告」みたいなことをして、精神を参らせる。あるいは「粘着」行為をしてストークされる。そこまで行かなくても、リアルに「凸」をされるだけで、結構精神に来るものだ。

私もかつてそんな奴に絡まれて、いろいろ面倒な目にあった。

「疑惑」の類は否定も肯定もしない方がいい

あまり刺激してまた粘着されても面倒臭いし、どうも今のターゲットはid:kawangoさんらしいので、詳細は書かずにおくけれど、「生越昌己」とか「おごちゃん」でぐぐって出て来る情報の何割かは、その「粘着」のせいだ。これは少なからず、

家族や取引先

にも影響を与えた。単なる気違いの粘着で、自分が妙な目にあうならまだしも、周囲にまで手を出されては参る。

まぁ、そういった「経過」は人それぞれ、事件それぞれなので、これ以上そのことに書くつもりはない。やってた奴は

早く死ねよ

って思うけど。あ、その前に壇さんに慰謝料払っとけよ。

で、元の話なんだけど、私は「海外ニート」氏は好きではないし、彼の主張も好きではない。でも、それは一つの意見であるし、意外な気付きもあるし、「それはそれ」と思って読む分には有益だった。「むかつくなー」とか思うことはあっても、他のページ見るなり自分のエントリを書くなりしてしまえば、それまでのことであった。多分、他の大多数の人もそうだろう。彼は特定の誰かを名指しで攻撃してるわけじゃないから、いくらでもスルー出来ることしか書いてない。ことさら「恨む」必要性なんてないのが、普通の人の感覚だろう。

ところが、それを「黙らせてやろう」とかゆー「キチガイ」が出て来る。そりゃ、腹の中では「こいつ死ねよ」とか思う奴が10人や1000人くらいいたっておかしいとは思わないが、「まぁそーゆー考えもあるよね」と飲み込んでしまうのが「大人」であって、実際に行動に出たり、行動の予告をしたりするなんてのは、小学生以前で精神の発達の止まってしまった、あるいは常人とは違う方向に発達してしまった、

おかしい奴

でしかない。

まぁ、仮に10000人に1人、そーゆー「キチガイ」が存在するとしても、日本のネット全体では1000人やそこらは楽にいる。1人の精神を消耗させるには、1人の暇な粘着がいれば十分過ぎるということを考えれば、そーゆー「キチガイ」に遭遇してブログ閉鎖だとか、凸されるとかってのは、日常茶飯だと言ってもいい。そーゆー「気違い」が存在するのは、「社会」とか「オープンアクセス」ということを考えれば、しょうがないっちゃーしょうがないのだ。それは、車と交通事故との関係と似てるっちゃー似てる。

でも、実はそういった「キチガイ」を増長させるのは、現代の

空気

ではないかという気がしている。「凸」する奴を英雄視するようなネットの風潮、そういった被害にあいかけた時の警察の態度(*1)、「正義」のためなら何をしても良いという風潮、異なる意見に妙なレッテル貼りをする風潮。そういった諸々が、

キチガイを正当化

させてしまう。

とか諸々を考えてるうちに、非常にどんよりとしてしまった。自分が好ましいと思ってなかった人がネットから消えても、これだけの喪失感があるというのは意外だったが。なんか、しばらくソーシャルなメディアに関わりたくないなとゆー気分になって、こんなまとまらない文章を書くのがやっとである。彼が早く復帰して、再びむかつかせてくれる日、彼が安心してむかつく文章が書ける日が来て欲しい。

*1

私の友人がストーカ被害にあって神奈川の警察に行ったら、「あんたは顔も名前もネットに晒しているんだから、そんなことは起きて当然」とかって門前払いされたらしい。しょうがないので、弁護士費用払って民事でやっているとか。こんなこと民事でやったって、何の得にもならないんだよ。警察は仕事しろ。