それ自体はあまり関係がないが

松田とゆーサッカーの人が死んだそうである。

前のエントリでもそうなんだけど、スポーツの類に興味を持たないので、誰だか何をした人だかよくわからんまま書く。まぁ、たいていの固有名詞は苦手なんだけど。

サッカー元日本代表の松田選手が死去 入院先の病院で

どうもトレーニング中にいきなり心臓が止まって、そのまま… だったらしい。「死んだ」ってだけなら、あっそうでしかないけど、経緯を見るとそうでもない。

知らない人が死ぬってのは、せいぜい「消費される情報」の一つでしかない。運よく年末まで覚えていれば、「今年はいろんな人が死んだねぇ」の類のネタになるだけだ。もちろん身近な人ならそうでもないが、お葬式で妙な時として不謹慎なネタで大笑いしたりってこともないわけじゃない。結局まぁ、

他人の死なんて他人事

でしかない。

そう。「死」それ自体は。とは言え、この経緯は気になる。

「トレーニング中」にいきなり急性心筋梗塞で倒れるとか、ないことじゃない。運動にあまり縁のない私だって、いやあまり縁がないからこそ、たまに走ったりすると死ぬかと思うような動悸がする。私は元々心臓が良くないんで、鼓動に妙なリズムがついたりする。時々脈が止まったりするので、ヤバいなーとか思う。そう。ここまで来ると、「運動していきなり心臓が止まる」ってのは他人事ではないのだ。

最近はAEDなる機器があって、あちこちに置いてある。まぁ置き場につっこみたいことは多数あるんだが、ないよりはずっとマシだ。いざと言う時に使えるのかとか、そーゆー話もあるけど、なければそれ以前だ。あちこちにあれが置かれることは悪いことじゃない。

で、件の松田とゆー人がAEDを使ったかどうかは知らない。もしあれが手近にあって使えたらどうだったであろうか? たとえば、スポーツトレーニングする時には必ず持ち歩けみたいな空気があっただどうだろうか?

もちろんAEDは万能じゃない。一説によると「彼の場合はっても意味なかったかも知れない」という話があるらしい。それなら、あってもなくても同じだったかも知れない。

でも、そんなことがきっかけになって、「運動する場には必須だよね」とか、「もっと効果的な何かが必要だよね」という話になれば、無関係な話ではなくなる。単なる「死を悼む」だけの話ではなくなるわけだ。「彼の例」ではダメだったかも知れないが、他の人の場合なら助かるかも知れない。

救急救命はAEDだけの話でもない。救急車は? 処置は適当だったか? 搬送に時間がかかり過ぎてなかったか? 論点はたくさんあると思う。何にせよ、

ピンピンしてた人の突然死

というのは、他の死に方と違って予防や対応に対するつっこみをする余地が多い。特に有名人の死なんで、マスコミもいろいろ騒いでくれるだろう。そうしてみると、「単なる他人事」以上の意味が出て来る。「消費されるニュース」で終わらないで済むかも知れない。