実は4月末でTV局 を退職しました。で、今勤めている会社は自分達で作った会社なので、サラリー マンと言えばサラリーマンであるが、そうでないと言えばそうでないようなも のです。で、前の職場に入る前には髭を剃ったの であるが、同じように今の職場に入る時に何かしようと思って、
茶髪
にしてみました。
茶髪にした動機は、「暮しの手帖」の対談の中で、「子供が茶髪にしたらど うするか」的な話題の中で好意的でないコメントがあったからである。そのことにちょっとした抵抗をしてみたのである。
子供どころか親がやっちゃうもんね
とゆーノリである。また、元々前髪に白髪がまじっていたこともあって、
白髪染めするくらいなら
とゆーことで着色してみたのである。
最初はオレンジ色のヘアマニキュアで着色したのであるが、元々髪が黒いので、 あまり色乗りが良くなかったということもあって、ブリーチ脱色してみた。これで見事な茶髪となった。
茶髪にすると、色々見えなかったものが見えて来る。やはり一番の収穫は
人を外見で判断する奴が多い
とゆーことである。まぁそーゆー連中は取り引きしても、あまり良いことがないので、むしろこっちから願い下げである。だから、ある意味では、そーゆー連中を遠ざける
魔よけ
であるかも知れない。
次に良かったなと思うのは、逆に私自身も「人を外見で判断するものではない」ということを知ったということである。もっと言えば、
髪の毛の色(つまり外見)は人の価値を決定しない
ということを知ったことである。何しろこの数ヶ月で自分の価値がそう上下したとは思えないわけで、そうしてみると髪の毛の色で価値が決定しないのは明白である。「そりゃお前だけだろ」と言われても、「髪の毛の色は人の価値を決定する」という仮説は否定出来るわけであるから、これで十分である。
考えても見るといい。
天然茶髪
の毛唐人達が、我々と何かが違うだろうか? まぁ色々違う部分はあるにせよ、 人間としてどっちが良いとか悪いとかとゆーものではないはずである。ついでに言えば、肌の色だって同じことである。日焼けサロンで肌を焼いた人工黒人であろうが、本当の黒人であろうが、白人であろうが、人間としてどうという違いなんかありはしない。単に
外見の属性
としてそうなだけである。
そう思うと、茶髪は単なるファッションに過ぎない。そして、そう思えば、
服の色を変えるのと、どれくらい違いがあるのだ?
と思うのである。逆に言えば、髪の色等の外見をどうしたところで、何がどうなるとゆーわけでもない。だから、ツッパろうと思って外見を変えても無駄である。何かしたけりゃ中身を変えるしかない。
というわけで、ファッションとして髪の毛の色を変えることに、遠慮すること はない。服の色を変えるのと同じように考えるといいだろう。いい年こいたおぢさん達も、「白髪染め」なんてネガティブなことを考えないで、茶髪でも赤髪でもするといい。その方がプラス指向であることは確かだ。そして、今まで見えなかったものを見るといい。
わたしは、20代から毛がばっさばっさと抜けていました。頭を洗うたびに、毛がなくなっていました。合コンとかでは、『若禿っていやね・・』と可聴限界ぎりぎり見切った音量で、女性陣の声が聞こえてきました。
なので、20代で丸坊主にしました。いまは、サッカー選手なども丸坊主なのですが、当時はわりと少なくて、「関係者」や「構成員」の方が多かったように思います。
でも、丸坊主にしてからは、外見で判断してもらって得することが多いように思います。
わたしは、毛があったらきらきら光る緑色にしてみたいです。
そーゆーのもありますよね。
髪どうするかなんて、それぞれの事情と好みの問題なのに。つまらない差別を助長してどうする気なんでしょうね。