大阪府警

ここのところ忙しくって、松江に住んでいながら、東京大阪にいる時間の方が長くなってしまいました。東京は飛行機で行くことになるのですが、大阪は色々な便利のために車で行きます。車で行くと、車の置き場のことやホテルの予約のこととかから、結局ラブホテルとゆーことになるのは東京の場合と同じです。

と言う訳で、夜は十三をウロウロするわけである。ところがこの十三のホテル街というのは、そこらじゅうが一方通行なのである。ま、色々なことを考えると、これはしかたないことであろう。こちらも出来る限り逆行などということをしないように注意して運転することになる。まぁあまり慣れてない道なので、そのせいで迷子になったりするのであるが、夜ということもあり、どうとでも出来る。混んでないのだから、多少変なところに出ても平気だからだ。

ところが、この一方通行の標識がわかりにくいことがある。先日もうっかり見落として(とゆーよりも非常に視認困難なのだ)逆行してしまった。そこにちょうどパトカーが来て… まぁこちらが県外者でもあるので、結果的に単なる指導で終わったのであるが、その時の会話に呆れるものがあった。

連中の発言の中で呆れた第一は、

法律は法律に過ぎん

何が悪かとゆー判断は裁判所ではなく
我々が行うものである

ということである。正常な頭を持った者からすれば、これがいかに愚かな発言であるかはわかるであろう。そのくせ、

お前らは法の番人だろう?

と言うと、

俺達はそんな番犬みたいなものではない

などとのたまう。はっきり言って、こいつらは

馬鹿

である。警察の仕事が何であるかを理解していないのである。こんな奴らが警察でございますと言うのでは、とても治安がどうこうと言えたものではないし、こんな奴らにあれこれ言われても、説得力がない。

しかし、この会話でふと思い出したことがある。最近Internet界や情報宣伝業界でも警察の横暴が色々あり、FLMASKが猥褻物ちんれつほう助罪であるだとか、ホテトルちらしを印刷した印刷屋が売春ほう助罪であるだとか、援助交際が売春だとかとキャンペーンはっているだとかという、一種の

警察の暴走

の中心が、実は大阪府警なのである。そのことを考えると、

善悪を決めるのは現場である自分達

という発想は、なるほどと感心するものである。確かに自分たちの判断でつっぱしっている。

ところで話は変わるが、大阪は路上駐車天国である。よそから来たものにしてみると、もうそれこそ道路は

どこでも駐車場

状態である。そして、それを許しているのも、大阪府警である。どうも警察の言い分を聞くと、

忙しくて手が回らない

のだそうである。それはそうであろう。「善悪を決める」などという大作業を勝手の自分の仕事だと思って仕事をし、法律を軽んじて仕事をしていれば、路上駐車みたいなことにまで手が回らないし、「まぁ忙しいから放っておけ」とゆー結論になるのは当然のことである。もっと単純に、「ここは駐車禁止。だからこの車両は駐車違反。よって切符!」とやっていれば、もっとどんどん処分も出来るし、判断基準が素直になるのだから、結果的に市民の利益になるはずである。「ここは駐車禁止だけど、お巡りは…」などと思いながら駐車したり、その結果がラッキーかどうかとゆーよりは、あっさり取り締まられるのであれば、「じゃあ駐車場を探そう」となる方が、

法の下の平等

とゆー観点からも都合がいい。おそらくは路上駐車も減るだろう。

その他にも、「監督不行き届き」のような警察絡み犯罪の多いのも、実は大阪府警である。これとても、本来の仕事以外のことをやっていれば、監督不行き届きになってしまうのはしかたのないことである。何しろ人間は不完全なものであるからだ。

そーゆーわけで、せっかく「指導」だけで見逃がしてくれた連中ではあるが、どう考えても奴らは

間違っている。

「どこが」といった類のレベルではなく、根底の部分であるところの、

警察とは何であるか

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