日教組の害毒

【教基法改正】 「学校で何を教えてるんだ」 匿名の大人、女子中学生の改正反対意見を批判→「愛国心って、こんなに卑劣なの?」とTV★2

あえて2ちゃんのスレの方をリンクしておく。

元記事の「女子中学生の改正反対意見を批判」の真偽については、実はどうでもいい。これが本当に「女子中学生が書いた」のか、あるいは「女子中学生に書かせた」のか、あるいは最初からそんなものがなかったのか。どうでもいい。

しかし、このスレの「>>2」がいきなり

> 2なら日教組は卑劣

と書いているということに思うことがある。

2でいきなり書くのだから、要するに脊髄反射で書かれたものだ。つまり、元記事のようなことがあれば、反射的に「せいぜい日教組に洗脳された生徒が書いたに過ぎない」と解釈したわけである。

中学生くらいになれば、ちょっとマセたガキは「日本の政治」に興味を持つ。実際に私はそうであった。教育勅語がどうだとか、戦前の教育がどうだとかというのは、知っていてもおかしくない。だから、以後のコメントで「知りもしないはずだから中学生が書いてるはずがない」と書いている奴は、「自分は中学時代そういったことに興味を持ってなかったし知りもしなかった」ということを晒しているに過ぎない。

だから、私は件の記事の「女子中学生」は「真かも知れない」と思う。それは何も「日教組」がそんな教育をしていようがいまいが、ストレートにそう思う生徒がいても、何ら不思議はないということだ。

しかし、ほとんど反射的に「日教組は」と書かれている。もちろんそれ自体がネタかも知れないが、逆に言えば「こういったことの背景には日教組の恣意的な教育がある」ということが、「お約束」となってしまっているということを意味している。そうでなければネタとして機能しない。

ネタとして機能するものをネタとして書いても、それを真に受ける人はいる。真に受けなくても、そんな「ネタ」が多数あれば「なんとなくそんなもの」とか「そう思う人は多数派」と思うのもおかしくない。

それは実は「右傾化」を快しとする人達が組織的に「2ちゃん世論」風のものを演出した結果なのかも知れないし、自発的なものかも知れない。何にせよ、少なくとも「2ちゃんねる」ではそういった見方が主流に見えるというのは「事実」である。

ここで「2ちゃんねる」や「右傾化を快しとする人達」を批判するのは早計だ。私はこれは逆に、日教組はそういった「ネタ」にされやすい行動をして来たということに問題があると見る。

私は、日教組の言うことの、6割くらいは真理だと思う。もちろん愚にもつかない「保身的主張」やら「無駄に政治色のついた主張」があることもあるが、それは主張全体からするとそんなに多くはない。それもそうだが「6割」の部分については、「文科省」も「保護者」も、おそらくは同じ主張だろう。残りの部分が「立場の違い」によるものだと思う。

ところが、日教組の「4割」の部分に含まれる「保身的主張」やら「無駄に政治色のついた主張」のせいで、「日教組の主張」は「ネタ」にされ「全否定」されてしまう。彼等が「6割」の部分でどれだけ正しいことを言おうと、「4割に含まれるまっとうな部分」があろうと、「4割に含まれる愚にもつかない部分」のせいで、全てがダメになってしまうのだ。

文科省(=政府)の「4割」の部分にどれだけ間違いがあってそれに反論していようと、またその中身がどれだけまっとうであろうと、「日教組の主張の4割に含まれる愚にもつかない部分」のせいで、それが無価値になってしまうのだ。

対立するものは各々が健全に存在しているからこそ、選択肢としての価値がある。本来なら「文科省の主張」と「日教組の主張」は「(選択者にとって)正しいかどうか」で選択されるべきことのはずだ。ところが、「日教組」自体が腐ってしまっているために、選択肢として機能しない。

日教組は「政府の横暴を許すな」と言う。その主張には賛成だ。しかし、その「選択したい主張」を支持することは、同時に「腐れた日教組」を支持することになってしまう。それはそれで勘弁してもらいたい。

「正しいことを主張」するのだったら、支持するに値する「実体」を持っていて欲しい。それがないのが、日教組の一番の問題である。

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