古いタイプの著作権ビジネスはもうダメかも知れない

ちょっと古い話なんだけど、先日タケルンバ達とカラオケに行った。って、kyompiのお誕生日会の二次会なんだけど。

誕生日…おふ?

ネットな人達のオフとなると、いきおいアニソンになりがちなのだけど、意外にもアニソンはほとんどなかった。私はアニメは全くと言って良い程見ないけど(そもそも家にテレビがない)、アニソンはそれなりにわかる。ニコ動がソースだから。

ニコ動を見ていれば、嫌でもアニソンは流れて来る。それで興味を持って動画を探せば、まぁだいたいわかるようになる。お陰で、「アニソンは知ってるけど、そのアニメを知らない」ってことが起きる。まぁそれはそれでいいんだろうと思う。アニソンに限らず、「著作権ビジネス」ってのは、そーゆーことで市場が拡がる。ニコ動が元でヒットした曲はそれなりにあるわけだ。なんせ、去年一番売れた洋楽は「ウマウマ」だったらしいし。

ところが、件のカラオケはそういった曲はほぼ皆無。kyompi彼女が特撮ものの歌を入れてたくらい。みんなで盛り上がって歌っていたのは、実は私がよく知らない曲がほとんど。多分、今時の歌も含まれているのだろう。わかんけど。

そんなところに集う奴等って、普段はtwitterで遊んでたりする。twitterで遊んでるとダラダラと時間を浪費するし、その間でもダラダラとwebを見たりする。結局、今時の「テレビをほとんど見ない」ことになってしまう。まぁTLとか見てると、みんながみんなそうでもないとは思うけど。

で、そこで思ったのは、

新しい曲をどこで知るのだ?

ということ。メディアは何だ?

まぁそれについては実はどうでもいい。少なくとも今は何らかの形でそういったものに触れる機会があるということ。でも、今よりももっとメディアがネットばかりになったらどうなるのだろう?

ネットは人を「タコ壺」に入れてしまいがちだ。能動的に活動しないと何も手に入らないし、能動的に手に入れるものは今の自分が興味を持っているものだけ。興味がなければ気がつくことも少なくなるし、多少あっても「コスト」に見合う結果が得られるか考えてしまう。だいたい、ネットってのは楽しいもので、今の自分が興味のあるものに触れているだけでも、多分人生は短いくらいだ。

今、誰かのファンであるなら、その人の新曲を聞くということはあるだろう。でも、ファンになっているアーティストが引退したらどうなる? 引退したアーティストは新曲を出さない。そうなると、「ネットのタコ壺」に勝手に新しいアーティストがやって来ることはない。

もちろん、音楽は巷にあふれている。本来静かであるべき場所にまで、BGMが流れている。あるいは友達が音源と共に「これいいよ」と教えてくれたりすることもある。動画サイトには当然のような顔をして、いろいろな音楽が存在している。着メロ着ウタの類はそこらじゅうで流れている。我々は音楽に囲まれて生活していると言って良い。

ところが、これらは厳密にJASRACやその他の権利団体の言い分を正しく聞くと、

ほとんどが契約違反

になってしまう。BGMのほとんどは演奏権や頒布権に抵触するし、友達からCD借りたりMP3をもらったりについては、権利者団体がうるさい(私的利用だと思うんだが)。最近では着メロの類に権利者団体がいろいろ言っていることも目にする。まぁ早い話が、今まで勝手に二次利用していたことは、軒並権利者団体が問題視するようになって来た。

権利者達の主張を正しく聞く限り、「個別に許諾してもらったもの以外は二次利用禁止」なのだ。著作権と著作権法の考え方から言えば、これに異を唱えるのはナンセンスだ。

我々が「新しい曲」を聞く機会で二次利用なものは非常に多い。たとえばテレビやラジオで流れるCMはその例だ。ところが、既に何度も書いているように、テレビは衰退するメディアだ。いきなり完全死亡にはならいだろうけど、「音楽を伝えるメディア」としては、もう終わったと言っても良いかも知れない。音楽番組はほぼ絶滅してしまっているから、一次利用的なものはとっくに終わっている。テレビやラジオ以外での二次利用は、ほぼ全部がグレーゾーンにある。たいていはグレーどころか黒判定されている。

とか考えて行くと、権利者の言い分を守って行くと、

新曲に触れる機会はなくなる

と言ってしまってもいいかも知れない。自分の生活をふり返ってみれば、なんとなくわかる気がしないかい? 最近新しく知る曲はアニソンばかりだと感じている人って意外に多いのではないか。まぁアニソンが権利関係にうるさくないわけじゃなくて、「グレーゾーン二次利用」が多いってだけなんだけど。

とかってことを書こうと思って長くなりそうだから放っていた。そこに、

グーグル「ブック検索」拒否が”書籍を殺す”とわからない人々(前編)

という記事を発見する。出版社の主張はわからんでもない。とは言え、これも結局権利者団体がいわゆる二次利用を制限しようとしている動きという点では音楽の問題と同じだ。

権利者団体が著作物の利用に関して制限をつけるのは、当然の権利だからそれに異を唱えるつもりはない。それで儲かってりゃ良いし、それで損すればメシウマなだけ。「必要なものは買って来る」という立場を取り続ける限り、他人事だと言えなくもない。

でも、彼等の嫌う、「グレーゾーンの二次利用」は新しい興味を作り出す元、つまり「広告メディア」という側面があったのだ。「必要なものは買って来る」のは態度としては正しいのだけど、それだけになってしまえば「必要の発見」が出来なくなってしまう。自分の興味のあるものを自分のためだけに買って来るのは、「ネットのタコ壺」と同じ結果になるだけだ。

そのことを忘れて、「グレーゾーンの二次利用」に対して厳しく対することが、果して「著作権ビジネス」に対してプラスに働くのかどうなのか。「新しく知る曲はアニソンばかり」ということを思うと、どうもマイナスに働いているような気がしてならないのだが。