「みんなだよ」

昔mixiに書いたネタ。

世の中、何かあると他人のせいにしたがる人は少なくない。

中でも呆れてしまうのは、客先等に謝りに行っておいて「部下が…」とか言ってしまう人だ。

相手にとっては犯人は誰であっても「誠意ある謝罪と今後の対策」が欲しいものであるから、仮に本当に「部下」が犯人であっても、そんなものはどうでもいい。また、当の「部下」にしてみれば、本当に自分が原因であれば辛いだけだし、自分のせいにされているだけだったら、その「上司」の「程度」がわかってしまう。いずれにしても「部下が…」というのは、誰にとっても言うだけムダである。ここで「自分のせい」にしておけば、「上司」の人望は増すわけだ。どうせ謝らなきゃいけないんだから、その方が「お徳」である。

「誠意を持って謝罪する」のは、場合によっては「何事も起きないよりも信用を得られる」可能性だってある。ある意味これは「チャンス」でもある。顧客にはその姿勢が信頼につながるだろうし、部下は忠誠度が上がるだろう。自分が悪くない時に謝るのは嫌なことではあるが、「どうせ自分が悪いんじゃない」んだから、そんなに深刻になる必要もない。むしろ、自分のことで謝る方が辛い。

とは言え、物事によっては「犯人探し」が必要になることもある。それは「犯人を責める」ためではなくて、「原因及明」の一種としてである。これがあいまいであると、次も同じことが起きてしまうから、「人を憎まず」の姿勢での「犯人探し」は必要である。しかし、そうでない「犯人探し」は傷つく人を増やすだけだから、あまり意味は持たない。わかってしまってその人を責めれば、その場は収まるかも知れないが、次からは真犯人が保身に走ることになり、そっちの方が有害だ。

しかし、なぜか世の中には「無意味な犯人探し」をしたがる人がいる。そして、その「無意味な犯人探し」が目指すところは、たいてい「犯人を責める」ためである。そんな時には「友達が」とか「友達の友達が」とか言っておくと良いのだが、「みんなだよ」というのはなかなか有効らしいことを知った。

部長「○○課長、部下は君のことをこんなふうに言っていたぞ」
課長「え! 誰ですか? そんなことを言ったのは?」
部長「みんなだよ(はぁと)」
課長「… orz」

ところが、これが通じない人もいないではない。

クサ「なんか会社の人達がこんなこと言ってますよ」
社長「なに! 誰だ、そんなことを言ってるのは!」
クサ「みんなです!」
社長「… 全員クビ!」

「みんなだよ」” への1件のコメント

  1. 素晴らしい!
    よく言った!

    「みんなだよ」「みんなです」はいいアイディアですね。使わせていただきます。

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