「社畜病」

あんまりgdgd書く必要もないと思うけど。

カレーの人やら、ネオニートの人やら、あるいははてな界隈に巣喰う「会社を批判してる奴等」やら見てると、

社畜病

って言葉を思ってしまう。もちろん読みスジは「中二病」だ。

「中二病」と同じような感覚で見るとだけ書けば、あまりgdgd書く必要もないんじゃないかって気がする。ただ、今の「会社に勤めながら、その会社をdisってる」奴等を見ると、「親の庇護の元にありながら大人に反発してる中学二年生」を連想するのだ。

「中二」がどれだけ親のことを嫌いになろうと、家を出て飯を食うかと言えばそうじゃない。いろいろ難しい理屈をこねても、それを理解しているかは疑問だ。「自分には秘められた能力がある」とか思っても、たいてい勘違いだ。「中二」はあくまでも「中二」に過ぎず、いくら立派そうなことを言っても、しょせん「中二」であり、それ以上にならないし、なる気もない。

それでいて、「同級生」達からは「あいつ頭いいな」と思われていたり、自分でそう思っていたりする。でも、「中二」だ。

「社畜」も同じで、どれだけ会社を批判しようと、自分でその理想の会社を作ろうとするわけじゃないし、立派な理屈をこねていても、どこまでわかっているか疑問だ。まぁ「中二」と違うのは、「親」を換えられることだけど、それもせいぜい「違う豚小屋に入る」だけで、キーキーと鳴いて檻から出ようとする(それでいて実際には出ない)のは同じ。

「自分の勤めてる会社」とか「自分の働いている業界」とかがおかしいと思えば、そこから出て行くなり起業するなりってのが自然な流れで、キーキー文句を言いながら豚小屋から出て行かないってのは、結局「社畜」であるということを肯定してるに過ぎない。

別に「会社に勤める」ということがいけないってわけじゃない。世の中の99%以上の人はそれが普通だし、その生き方が格好悪いとは思わない。それをまっとうするのは、簡単なようで難しい。私なんぞはそれから脱落したとも言える。「今さらサラリーマン出来ないよなぁ」とか思うのは、「脱落した」ってことの傍証だろう。別に会社をやってるってことそれ自体が偉いわけではない。「プログラマとおまわりさんのどっちが偉いか」みたいなことでしかない。

でも、「キーキー文句を言いながら豚小屋から出て行かない」のは、結局のところ「社畜」行為に過ぎない。いろいろ立派そうなことを書いたりしてても、しょせん「社畜病」だ。「中二病」と同じように見えて来る。

PS.

disるのも反論するのも大いに結構なんだけど、その前に「(多分)もはや中二ではない自分が、中二病をどう思いどう扱っているか」を思い返した方がいいと思うよ。

PS2.

あのさ。どのブコメとは言わないんだけど、それを「社畜病」って呼んでるんだぜ。会社にキーキー言いながら、それでも何かを会社に期待してるなんて、どんだけ社畜なんだよwww

ついでだから書いておくと、たまに会社に愚痴を言うことは悪いことじゃない。また、サラリーマンとしての人生をまっとうすることそれ自体を社畜と蔑むのはナンセンスだ。人には向き不向きがあるんだし、「やりたいこと」も人それぞれだ。会社や社会のhackに興味がある奴ばかりじゃない。

このエントリで「社畜病」と呼んでいるものは、そんなものではない。「14歳」はかわいいしw、「中二」をちゃんとやるのは悪いことじゃないよね?

「社畜病」” への7件のコメント

  1. もしかすると
    「出て行かないことを前提に適当にキーキー言う」
    が、社畜で長くいつづけるための一つのコツなのかも。

    私は出て行ったけど。

  2. >キーキー文句を言いながら豚小屋から出て行かない

    ああ、自分のブログで取り上げた、あの動画が元ネタかぁ(^ω^;

  3. 「親の庇護の元にありながら大人に反発してる中学二年生」を指して使われる中二病と、感性の事を指して使われる中二病、使われ方に差がある気がします。

    それはそれとして、中二病は病状が軽ければ普通に見えますが、社畜病も病状が軽ければそれは普通の人なんでしょうなぁ・・・
    名づける事で明確に自分がカテゴライズされる(と思う)事に対する反発があるのは必至ですね。

    カテゴライズされることに反抗する事、カテゴライズされることに歓喜する事、
    カテゴライズしないことに歓喜する事、
    カテゴライズすることに歓喜する事、
    大抵は何事も程度の問題なんですが。

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