スーパーな奴等をロールモデルにしてもしょうがない

日経BPが新入生企画をやっている。

プログラマになりたいあなたへの手紙

企画した人にも、書いてる人達にも悪気はないと思うが、この「企画」が意味を持つ人は少ないだろう。なぜなら、ここで書いている人達は、みんな

スーパープログラマ

だからだ。ところが、大変残念なことに、この域に到達する人は、今年コの業界に入った人達のうちのごく一握りだ。だから、彼等はロールモデルになる人はごくわずかだ。

同じようなことは、以前も書いた。

「女って程々の成功は許されないんですよね」

メディアに載るものとしては、目立たないと意味がないから、こういった「スーパーな連中」の話ばかりになる。でも、この手の「スーパーな連中」の話に共感を持てる人は少ない。憧れの対象にはなっても、「自分のこと」として見ることが出来ない。「等身大」ではないのだ。

いや、そりゃ「出来てしまった人達」からしてみれば、「君達と彼等との間に何の違いもないよ」「違いがあるとすれば心構えだけ」ということなんだろうけど、それでピンと来る人は少ないだろう。逆にそれでピンと来なくても、落伍したというわけじゃない。スーパー過ぎてわからないだけだ。

だから、こんな「スーパーな連中」が何を言っているか、どう考えて来たかなんてどうでもいい。これは「スーパー候補」であっても同じだ。自分の道は自分で見つけるしかないし、誰かが成功したという話を聞いても、それが真似出来るわけじゃない。立派な「心構え」も、あくまでも「御高説」でしかない。無論、聞くべきことがないわけじゃないけど。いくら「当時は僕も不安だった」とか言ったところで、「その不安」と「今の自分の不安」が一致してるわけでもない。

私は自分がプログラマとしてどれくらいのレベルにあるかはよく知らないけれど、「とりあえず私と同じことをやっていれば、私くらいにはなるよ」とは言える。とは言え、それはいろいろ細かい事情を無視してる。「私くらい」になれるかも知れないし、なれないかも知れないし、もっと凄い奴になるかも知れない。つまり、何を言ったところで

何の役にも立たない

のだ。

そもそも一番大事なのは、「普通のサラリーマンプログラマ」は、別に「スーパー」になる必要はないということだ。これは、「お前達は高々その程度だぜ」って意味じゃない。「普通のサラリーマンプログラマ」は「スーパー」になろうが、そうでなかろうが、給料はそんなに違うわけじゃない。普通にレールに乗って、日々の仕事を片付けているのが、「いい暮し」には一番有効なのだ。「エンジニアになったからには」的に肩に力を入れる必要もない。むしろ、下手に志しなんかを持って妙な転職をしてしまう方が、よほど生活を脅かす。本当に「スーパー」なスキルを持っていればいいが、中途半端に勘違いするようなスキルなんて、むしろない方がマシだ。

「やる気」側の人間や、私のようにヤマっ気いっぱいの人間にしてみれば、「それの何が楽しい?」とか思ってしまうけど、世の中の99%のプログラマはそれで十分なのだ。「35歳定年」とかも同じで、唯唯諾諾と管理職でも営業でも何でもなってしまえば何とかなる。プログラマだからどうこうと言う訳じゃなくて、「普通のサラリーマン生き残り術」を身につけておけばいい。

しばらくコの業界にいて、「俺もスーパーになりたい」と思ったら、件の「御高説」は意味がある。あくまでも「一つの体験談」に過ぎないけれど、その時にはそういったことの意味もわかっているだろう。だけど、普通に業界に入って、「普通のサラリーマンプログラマ」でいるのであれば、何もそんなに頑張ることもないのだ。だから、私から言っておきたいのは、

別に誰もがスーパーになんかならなくてもいい

ってことだ。世の中の大多数のシステムは、「普通のサラリーマンプログラマ」が作っているのだ。確かに生産性は低いかも知れない、「スーパーな奴等」にdisられるようなスキルかも知れない。でも、世の中はそういった人達で支えられている。だから、別に恥じるようなことではない。

最初はとにかく「普通のサラリーマンプログラマ」になることを思えばいい。「業界の未来」とやらにそんなに首をつっこんで、自分から不安になる必要はない。いろいろやってて、そういった「雑音」が気になるようになってから考えたり行動したりしたらいい。結局、去年と同じことを言うようになるのだが、

目の前にある仕事、それが今のあなたの仕事の全てだ

ロールモデル云々は、もうちょっとしてからでいい。