SE 35歳定年説

美容院に行くまでの間に本屋に行って本を見て、美容院でぼーっと時間待ちをしてる間に考えていたこと。

ソフトウェア技術者の定年は35歳だという話は、既に私が学生の頃からあった。私は今年42だからとっくの昔に定年だ。これには諸説あって、

  • 要員派遣だと35歳くらいで売り上げと経費が逆転するので、派遣中心の会社では邪魔
  • この世界の技術はどんどん進むので、それに負けないように勉強しなければならないが、35歳くらいから追いつかなくなる
  • 35歳くらいになると、管理職になってくれないといろいろ困る。技術だけではやって行けない
  • この業界の過酷な労働に身体が追いて行けなくなる

などである。私はこの他に、

  • 35歳を過ぎると、単なる技術者ではなくていろんなことに目を向けていなければならない
  • 35歳過ぎるとSEやプログラマに必要な集中力に欠ける。だから馬力だけで仕事ができないので、仕事の仕方を考える必要がある
  • 業界に10年以上いると、どうやっても頭が堅くなってしまう。この業界に必要なのは柔軟性だから、なかなか厳しい

ということもあると思う。

そうならぬように、常に柔軟に物事を見て、馬力に頼らない仕事をし、また興味を広く持つ必要がある。特に物事をメタに見てみるということは重要である。

本当に凄く優秀なプログラマであれば、「道を極める」のも良いと思う。しかし、それを許されるのは、弊社ならmatzくらいなもので、私では既にダメだ。もちろん私は今も現役でプログラムを書き、アルゴリズムを考えもするが、本来の仕事は経営であり営業であり企画である。

本屋でブラブラと本を読みながら思ったのは、そういった「メタに見る」という力を養うには、いわゆる「入門書」を読んでみるのが有効ではないかということだ。それもアプリケーションの入門書だ。これらは書いた人がどんなレイヤであるかは別にして、少なくとも「バリバリの技術者である自分」とは全く違う視点で書かれている。そこには、いろんな形の新しい発見がある。

また同じように「流行りものに振り回されてみる」のも良いように思う。この世界に10年以上いれば、いわゆる流行りもののほとんどが「単なるアダ花」に過ぎないことはわかってしまう。また、既に何度も振り回されて痛い目に会っているかも知れない。そうなると、どうしても流行りものを見る目は疑いに満ちている。「もう騙されないぞ」と思い、振り回されてる奴を見て「馬鹿だねぇ」と冷やかな視線を送ってしまう。とは言え、流行りものは流行るだけの理由があり、流行りものそのものよりもその背景にあるものを見ると、いろいろ勉強になる。そして、流行りものがなぜ流行るかということを知るのに、一番手軽な方法は、それに振り回されてみることである。そのためには入門書も読むことになるから… ということだ。

まぁそうやっていれば、42歳までは大丈夫だ。私が保証する。もっと先はどうなるかは… これからわかることだ。

と、話はこれだけでは終わらないところがミソだ。だいたいこれまでの話は今まで散々言われて来たことだ。そこに載せて私の具体的なやり方を書いたに過ぎない。ここまでの話であれば、前フリに「美容院」はいらない。

私の行く美容院の美容師は、みんなおねーちゃんである。見た感じだいたい20代で、30代の人がちょっとという感じだ。とは言え、他の店だと男の美容師もいるし、その歳も「いい加減いい歳」な人も少なくない。

つらつらと観察していると、美容師の置かれている環境とSEの置かれている環境と、そう大きな違いはないように思う。腕一本で一人前の仕事をする。働いただけが金になる。技術が必要であることも同じだし、技術が高ければ人気も単価も上がる。とは言え、労働単価は我々よりは安いことが多い。私が今日払った金額は12000円で、ざっと4時間かかっているから、3000円。なかなか厳しそうだ。

美容師に限らず、だいたい「技術」を売りにする仕事は似たようなものである。大工も然り、鍼灸師も然り。しかも酷いことには、これらの仕事はSEと比較すると単価が安い。それでいて、リスクがあったり資格が必要だったりする。この辺もSEと比較するとかなり厳しい。

とは言え、SE以外の「技術を売りにする仕事」の人達は、かなり「いい歳」の人達も普通に従事している。「美容師35歳定年」なんて話は聞いたことがない。彼等だって流行を学ぶ必要があり、感性を時代に合わせる必要があるわけだから、「普段から不断の勉強」が必要であることは間違いないし、とは言いながらも、しなけりゃしないでそれなりに何とかなるということも同じだろう。

この違いはいったいどこから来るのだろうか?

PS.

サーチエンジンからの統計を見ていたら、同じようなネタを仙石氏が書いていた。「なぜ人月見積もりが優れているのか」の記事もそうなのだが、同じような立ち位置なので同じような結論になるのではないかという気がする。