毎日jpの「調査報告」が出ている。
15日過ぎたあたりから、「このままトップページリニューアルでもして、うやむやにするかな」と思っていたんだけど、一応やることはやったようだ。
で、全部読んでみたのだけど、これじゃあダメだ。何の反省もしてない。
経過報告の文書を読むと、随所に「少ない人手でやったからこうなった」的なことが書かれている。
英文サイト問題検証(1) チェックなく素通り 外国人記者任せ
もうタイトルからしてそうだ。
もちろん多分この「事件」の原因は、このタイトルにも書かれているように「チェックなく素通り」だったと思う。そして、それは人手不足によるものだということは容易に想像がつく。人手人材が十分にあってこの手の「暴走」があれば、それはそれでもっと問題だ。
これは確かに「調査報告」だから、こういった「原因」が書かれているのは間違いではない。とは言え、この記事は謝罪でもあるということを考えると、この「原因」ではダメだ。なぜなら毎日新聞社は本体だけで3000人を超える大新聞社であり、そこで人手や人材が不足したということは、外の人には理解の外だからだ。むしろ、外部の人にとっては、
そんなに人が割けないのか?
ということの方が疑問だろう。一流大学を出た記者が大勢いて、英語の記事の検証が出来る人材がないなんて、「くおりてぃぺーぱー」を自認する新聞社で考えられない。
だから、実は一番の問題は、英語版に対して十分社内リソースを振り向けていないということであり、それはつまりそういった「経営方針」だということだ。
他方、社外の人にとって、人手がどうかということはどうでもいい。期待する品質が維持されていれば、1人だろうが1000人だろうが、どうでもいいのだ。だから、「担当デスクが○人で、体制の都合で×人になって」なんてのは、実はどうでもいい。
だから、一番謝罪すべきは、
品質維持に必要なリソースを振り向けなかった
ということであり、それは取りも直さず「経営」の問題なのだ。だから、「調査報告」もそういった背景を持って書くべきだ。
件の調査報告は多分「スタッフ視点」だ。行間には「必要な人材が足りなくて苦しんでたんです」という恨み節が書いてある。でも、今回の事件で問題視されているのは、そういった「結果の一歩手前」の原因ではなくて、そういったことを導いた「経営方針」とか「編集方針」というものなのだ。
だから件の記事は謝罪でも何でもなくて、単なる
形を変えた言い訳
でしかない。つまり真摯なものではない。
これは実は他のサービス会社の「謝罪」が本当に反省した真摯なものであるか、それとも単なる「ポーズ」であるかということを見分けることに使える。
それはまず、何か事件があった時の謝罪の内容が、誰の視点であるかということだ。
社内でどれだけ人が足りなくなっていても、あるいはコストダウンのせいで色々ヤバいことをしていても、それが外に見えなかったら実は顧客にとってはどうでもいい。「7人の侍が登場します」と言っておいて「3人」しか来なかったらそれは良くないことであるが、「7人」来てしまったらそれ以上はどうでもいい。本当はその何倍も必要なスタッフが来なくて「7人」が頑張ることになっても、それで不都合が起きなければそれでいい。そのせいで社員が過労死してしまっても、それは社内の問題であって顧客にはどうでもいいことだ。そういった社内の都合と、顧客サービスは別ものだ。
だから、リソースの不足あたりの「担当者視点」での謝罪しかなかったら、それはたいてい真摯な謝罪ではない。確かに原因には違いないだろうが、それは「結果の一歩手前」でしかない。例を挙げると、
コストダウンに集中するあまり、品質の悪い材料を使っていました。
という類では、謝罪を含んだ報告にはならない。ましてや「コストダウン」や「品質の悪い材料」の類に「工場長の指示」とか「担当者の独断」なんてものになったら、何の意味もない。
企業として一番の問題は、そういった「リソース不足」を起こさせてしまったことにある。なぜなら、リソース配分は経営の問題だからだ。対外的な謝罪は、この「根本的な原因」について謝罪をしなければならない。同じ例で言えば、
利益の追及と競争力維持のために、過剰なコストダウンをしていました。
という類の言葉でなければならない。これが企業にとっての「真摯な謝罪」なのだ。
だから表題の「一瞬で見分ける方法」は、
誰の視点であるか
ということを見ろということになる。「担当者視点」では真摯な謝罪ではない。