私のギークハウス的な時代

アルファニートのphaさんのエントリより。

ギークハウスプロジェクト計画

そんなことをやっていた時代が私にもありました。

本当はもう黒歴史にしたいことなんだけど、20代の頃にそんな時代があった。

いろんな事情から友達と会社を始めた。その頃私は家賃を払う余裕もなく、居候生活をしていたのだけど、会社として貸りた物件に畳の間とかあって、そこで生活をするようになった。松江のような田舎だと、少なくとも当時は普通の事務所物件は零細起業に向いた物件と言えば、そんなものばかりだったのだ。

どうも元々その物件は、2戸ある物件らしく、カーペット敷きの土間と畳の間のセットの物件が2つあってまとめて貸りれた。奥の方を生活空間として使い、手前の方を事務所にして使った。手前の方にも畳の間があったので、コタツとか入れたりしていた。奥の土間は物置に、手前の土間は事務所に。

一緒に仕事をした友達と住んでいて、飯は適当に時間のある方が作っていた。結構ゆるゆると仕事が出来ていたものだ。私は昼間は元々の会社に勤め、夜はそこの仕事をしていた。

まぁその会社もいろんなことをやっていたのだけど、あまりに社長に社会常識が欠如していたものだから、当時勤めていた会社から仕事を回しても、書類とかロクに揃えなかったり約束を破ったりしていたりで、しまいには喧嘩別れすることになった。どうも私はそういった小さい会社の時の「社長運」が悪いようだ… って話は、そのうち書いてみようかな。

友達(部下でもある)と一緒にゴロゴロしながらプログラム書いたり、他の仕事の話をしたりというのは楽しかった。

それを思い出すと、phaさんの期待しているものっていろいろわかるし、当時の経験からしない方がいいこともわかる。

会社についての縛りはあまりない方がいい。つまり、同居している人は同じ会社に拘る必要がない方がいいということ。

人には晴れの日もあれば雨の日もある。会社に気分が向いてる時もあれば、そうでない時もある。だから、どんなに仲が良くてもいつも同じ会社の奴といるのは、あまり気持ちのいいものじゃない。「ゆるゆる」と生活するためには同じ会社でない方がいい。

会社のいろいろなコンプライアンス的なものとか、会計的なことを考えると、「会社で」ということで住居にしちゃうと、会社を辞めたら出て行かなきゃいけない。これはいろいろ面倒臭いのでやらない方がいいと思う。

さらにつけ加えれば、今や「ITエンジニア」は流動性があるものだ。プロジェクト毎に転々とするという雇用形態だってあるだろうし、社外の人の知恵が役に立つこともある。そうして考えてみると「人脈」的なつながりの人が集まる方が気楽でもあるし、いろいろ役立つと思う。SNSの「コミュニティ」みたいな縛りくらいがいい。

当時の経験やらでいろいろ考えると、

共同オフィス + 居住スペース

みたいなのがいいんじゃないかなーとか思う。

ということで探してみると、うちの近所つーか下町エリアには「最上階に大家が住んでいるオフィスビル」なんて物件が結構ある(つか、それがほとんどだし)ので、そういった物件を探してみるのがいいかなーとか、だったらこの近所を探せばありそうだなとか思ったりする。ちなみに、私のところがまさしく「最上階に大家が住んでいるオフィスビル」で、その大家の住んでいたスペースに私がいる。

そう言えば、前の会社が東京に事務所を出した最初の頃もそんな物件だった。一人住みついていたし、西田君が東京に来た時に泊って行ったりとかしてた。一時住んでたような気もする。そう言えば、デカい台所があったから、そこで宴会とかやったこともあるな。

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  1. ピンバック: うわのそら

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