苦境における今昔の違い

アクセス解析を見ていて、偶然こんなページを発見した。

私のコンピュータ開発史,三輪 修

どうやら富士通OBの人の書いた開発史らしい。よく読むと懐しい名前とかあるしw

昔の開発史は、プロジェクトXでもよく出て来るように、お約束のようにデスマのような状態になっている。寝食忘れて仕事に没頭するという話だ。今時の人にしてみれば、「オヤジの語る美談」に過ぎないのだけど、件のページを読んでいて今昔の違いを発見した。

昔の人、あるいはベンチャー企業創業時には、寝食忘れプライベートも捨てて仕事に没頭するという話が出て来る。労働基準法なんてまるで無視状態だ。時間も環境も滅茶苦茶で、そういった環境への回顧が「オヤジの語る美談」によく出て来る。多分、若者は「要するに過去の美化だろ」と冷めて聞く。

そういった「オヤジ」どもが回顧する「美談」の状態と、「若者」が嫌悪する「デスマ」の状態は、一見大差ない。だから勝手に美化されれば腹立たしさを感じるし、悪く言われれば面白くない。でも、件の記事を読んでいて決定的な違いを発見した。

それは、「DIPS-11/30 開発」のところに書いてあるのだが、

7月も終る頃,HS の E-unit(演算ユニット)に問題のあることが分かった.各ユニットのチーフを中心に,解決策に知恵を絞った.設計ミスを犯した E-unit で修正するのが筋であるが,かなりの改造量になる.検討を続けた結果,隣の I-unit (命令制御ユニット)側で修正すると改造量を減らすことができることが分かった.しかし,設計者は皆疲れている.自分のミスでもないのに改造処理をさせられてはたまらない.E-unit の責任者も I-unit に頼みにくい.納期のこともあり,ここは I-unit の改造で解決するしかなかった.辛い決断ではあったが,無事解決できたのは仲間の絆を信じることが出来たからであろう.

この最後のところにある、「仲間の絆を信じることが出来た」ということ。これは同僚に対する感じ方だけど、つまりは「評価(感謝)される」ということへの信頼があったからではないだろうか。

報われる苦労は、苦労しても損した気がしない。仲間に感謝されたり、上司に評価されれば、苦労の報酬としたら十分だ。もちろん給料が上がるとか手当てがつくとかってのも必要だけど、それにしても「もらえる」ということが約束されていればいい。

多分、「オヤジ」の世代がそういったデスマと同じことを、あまり悪い思い出として語らないのは、過去として美化されているということもあるだろうけど、それをやっても「報われた」という体験があったからではないか。逆に「若者」が嫌悪し、経験をしていれば悪い過去として語るのは、それをやっても「報われなかった」という体験しかないからではなかろうか。

こういった「苦境」はイノベーションにはつきものだ。でも、「それを超えたその先」に報われる約束があれば、乗り超えるモチベーションになる。そのモチベーションが欠落してしまう現代は、イノベーション的に不幸だと言える。

PS.

まぁどんなに報われても、「苦境」が連続して来るのは辛いだろうけどさ。でも、報われなかったらもっと辛かろう。

PS2.

「消毒しましょ!」さんのTB。私もちょっとその辺をつっこむのは面白いかなと思ったんだけど、他方それ自体をつっこんで何かいいことがあるかと言えば、個人的には疑問だなと思ったことでもある。言ったくらいで解決の糸口が出て来るかと言えば、多分無理だろう。それよりは積年の疑問の背景がわかったということが大事だったわけ。オヤジ達に「単なる認識や世代の違いじゃないんだよ」と言えるわけだから。

苦境における今昔の違い” への3件のコメント

  1. ピンバック: 消毒しましょ!

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