茶髪・金髪はどうにもなりませんな

雁屋哲の美味しんぼ日記より。

茶髪・金髪は何とかなりませんか

ここを見る人は御存知だと思うし、御存知ない方は←に書いてある日経ITProのページで確認してもらうと良いが、私は茶髪だ。いや、金髪かな。

なぜそうしているかは、古い日記に理由が書いてある。もう10年以上茶髪なんだな。

雁屋哲にとりあえず言い返したいことはそこに書いてある通りだ。私がこれを書いたのが10年以上前なのに、それがそのまま通用してしまうような誹謗中傷を書くなんて、いったいどれだけ進歩がない奴なんだ。

その当時思ってなかった効果(つまりそのエントリに書いてないこと)は、実年齢よりもかなり若く見えるということ。これ自体は「若づくりかこわるー」にしかならないのだが、自分にとっては意外な効果があった。それは、

外見を意識する

ということだ。今でこそ「人は見掛けだ」と言い切ってしまう私であるが、かつてはそんなことまるっきり考えてなくて、「中身で勝負なんだよ」と素で思っていた。でも、ふと思い立って茶髪にしてから実年齢を明かした時に、相手がびっくりしたリアクションをした時、まんざらでもない気分だった。何しろそれまで歳より若く見られたことは、学生時代からただの一度もなかったので、いろんな意味でこっちがびっくりした。私の画像検索とかすると、髭の画像が出て来たりするだろうけど、あれは茶髪にするずっと前だ。33歳くらいの時かなぁ。自分で言うのも情けないが、とても33には見えん。

でまぁそんなふうに若く見られた時にどう思ったかと言えば、「若く見えるのであれば、中身もそうしよう」ということだった。

もちろん、歳を食えば経験も増え、「しがらみ」も増えるのだから、いつまでもガキのままでいるわけには行かない。若く見えているらしいと気がついた時には、既に会社役員でもあったわけだし(脱色してみた直後に自分で気がついたわけではない)。そういった意味では、落ちつくべきところは落ちついてないとおかしい。とは言え、油断しているとそういった「取るべき歳」以上に歳を取るものだ。何しろその方が「等身大」で楽なのだ。ちょうどバブル崩壊後は「等身大」ってことが大切とされ、身の程を知った行動を取るのが美徳とされ始めた頃であったから、そういった楽なことは肯定されていた。だから、ブリーチなんてかけずに、また「普段着はスーツで」という方がはるかに楽だった。実際、前の会社に入る前(つまり件のエントリを書く数ヶ月前)までは、わりと固い職場(と言ってもテレビ技術関係なんだが)だったわけだし。

34年間、歳よりも歳食って見られ続けた私にとって、「歳より若い格好」というのはなかなか苦痛だった。また、何も今更若者の真似をすることもなかった。母校の非常勤講師をやっていた頃だったから、脱色して初めて学校に顔を出した時の教務職員の驚きなんてギャグだったけど、それ以上に「学生に同化している」とか言われて

先生どこ?

とか言われたものだった。当然、タメ口をきく奴も多かった。

でも、そうやって得られたものは計り知れない。姿を若くして、それに合わせた行動を取ることをするだけで、「歳を取ると失なってしまうもの」を再び得ることが出来た。「時代をキャッチアップ(笑)」することは当然と思うようになった。よく「気持ちは若いです」とか言う人がいるけど、そんなジジババ臭いことを言ってないで、格好だけでも若くすれば、どれだけ内面まで若くなるか。

似合ってるかどうかという話になると、どうやら似合ってないらしいことをファッションコーディネータに指摘されたのでわかってはいるけれど、得られたものは大きい。

という自分語りは、前置きみたいなものだ。

件の記事で一番馬鹿げているのは、

大体金髪・茶髪は日本人に似合わないだけでなく、西洋人にひどく馬鹿にされているのを知らないんだろうか。

西洋人は日本人は西洋人に憧れて、西洋人になりたいんだと嘲っています。

この中に、とんでもない勘違いがある。

しょせん髪の色なんてファッションに過ぎない。服や帽子の色と同じだ。だから、別に欧米人つーか白人の特権でも何でもない。奴等はただ天然金髪だというだけであって、好きであれば別に何人であっても、またどんな色であっても構わないだろう。そこに

西洋人のモノサシ

を持って来てしまう行為そのものが、「ひどく馬鹿にされて」いる行為だということがわからないのだろうか。「天然金髪の西洋人が否定する」なんてのは、「あっそ、勝手にすればいいだろ」でしかない。そう言えば似たようなので、関西弁を関西人でない人がしゃべっているのを「似非関西弁」と蔑むというのがあるな。天然と人工、先天性と後天性の間に、貴賎はあるのか?

そして、次に馬鹿げているのは、

茶髪・金髪のクリエーターの作る物は、泡みたいな物で、二年も寿命がない。

のように、科学的根拠の有無以前に、経験的裏付けもないことを、さも真理であるかのように語るというのが馬鹿げている。もちろん「ネットの意見はそれはそれ」ではあるし、高々blogに過ぎないわけだけど、人をdisろうと思えばそれなりの根拠が必要だろう。そして、その根拠の正当性の戦いになるものだろう。でも彼はそんなこと抜きでdisっている。つまり、雁屋哲という人は、

根拠なく他人をdisる奴

ということになる。

実は私はmixiでは「カタギで金髪茶髪」というコミュをやっている。そこには別にグレてもいないけど、茶髪金髪にしている人達が集う。そこでよく言われるのは、

茶髪金髪は外見への先入観というハンディがある分、
いろんなことを人一倍ちゃんとしないと正当に評価されない

ということで、いろいろ頑張っているということ。彼等は茶髪金髪が好きで、その格好がしたいのだ。そのために偏見を超えるだけのものを備えようとしているわけだ。

そりゃもちろんそうでない、グレて茶髪金髪にしてる奴等もいっぱいいて、そいつらには「どーにかしろよ」と言いたくもなる。だけど、「茶髪金髪だからこそ」ということで、人一倍努力してる奴も少なくない。だから、どっちがどうっていうものではないのだ。「グレている」ということの記号として茶髪金髪にしてる奴もいれば、服や帽子の色と同じだと思っている奴もいるわけだ。そして、時代が進むに連れ、後者が増えているわけだ。

彼は自分の娘を引きあいに出して「黒髪はいい」とか言ってる。実は私も地毛は本当はそれくらい黒いのだが、黒過ぎて見た目が重過ぎなんだよ。おまけに、妙に固まっている白髪は目立つし。少なくとも本人は今の方がずっと気にいってる。

彼は、

茶髪・金髪は「私の頭は空っぽです」と宣伝する看板だ。

私にしてみれば、茶髪金髪ってのは、

相手が人を外見で判断する奴かどうか見抜く

ためのものなんだよwww

PS.

ちょろちょろ文章を直してますが、気にしないで下さい^^;

PS2.

元ネタの方のはてブ見て後悔… もっとネタ化すれば良かった orz

茶髪・金髪はどうにもなりませんな” への5件のコメント

  1. 髪の毛を染めるのは別に何とも思わないけど、何故茶色なのかが判らないな。茶髪って、どう見ても汚い。例えば、「好きな色何?」と聞かれて、茶色とか答える人間は少ないだろう。少なくとも美的感覚は無い。ちなみに天然の茶髪はとても綺麗。

    青とか緑とか赤とか色々あるのに、何故揃いも揃って茶色なのかが理解しがたい。単に皆の真似をして多数に属したいだけなのか?日本人の集団志向?

  2. 答は簡単。

    茶髪ってブリーチするだけで出来るの。色入れる必要がない。他の色ってのは、なかなか難しいのよね。

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  4. 一応現在白人社会にいる人間として補足を..

    > 奴等はただ天然金髪だというだけであって

    これは必ずしも正しくは無いと思います。白人でも地毛と違う色に染めている人はいますよ。

    # 統計をみた訳ではありませんが、金髪に関して言えばアメリカ人にはある程度の割合で存在していますし、UK でも比較的多いように感じました。ドイツでは (元々ブロンドの人が多いせいか) 金髪に染めるよりも赤にしたり、部分的に紫になっていたりするのをよく見かけます (目立っているだけかもしれませんが..)。

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