主にmohnoさん用(2)

mohnoさんは文章が上手いのか、芸として「同意しない」と言ってるのかわからないけど、なぜか私は「うんうん」と思って読んでしまうんだよなぁ。

主におごちゃん用(長文)

まー、「パネルディスカッション」みたいなものだと思って読むと、他の人にも役に立つかも? そう思いながら続けてみる。

「中央線」の混乱お疲れ様でした。私の周囲にも儀牲者多数の模様…

> 「言っても無駄」

mohnoさんの言わんとすることは、一部の現状認識や背景の違いを除けばたいてい納得出来るわけですよ。そこにあれこれつっこむのは、どうも自分につっこんでるようなものなんで。でまぁ以下は違うなーと思うところ。

「違法コピーのカジュアル化」については、多分見てるところが違うんじゃないかと思います。確かにソフトウェアについてはそうだけど、それ以外のも、たとえば音楽だとか動画だとかいうようなものは、すごくカジュアル化してる。もっとも、これも見方を変えれば、我々がガキの頃にあった「レコードの貸し借り」とかの土俵がネットになったと言うだけで、そういったのも含めれば実はそんなに「する側」としては増えてないように思います。もっとも、それによって「届く範囲」とかは昔と違って格段に増えたわけですが。

# この辺の「カジュアル感」については、いずれ別ネタの時に書こうと思ってます。

だから、時間の絶対長という意味での影響はまだまだ小さいと思うのですが、「心理的ハードル」という点では昔よりもずっと低くなってしまっているので、これからどんどん増えて行くのではないかと思ってます。だから、絶対長の問題よりも、心理的ハードルが下がってしまっているという点で「カジュアル化」だろうと。オンラインになっているストレージはまだ少ないけど、いつでもオンラインになるストレージがあるという状態だというわけです。

そして、タチが悪いことに、技術的なハードルも下がってしまっているため、誰でも出来るようになってしまった。かつて、ソフトウェアの違法コピーをやっている人達ってのは、「悪いこと」と認識しつつやっていた、つまり「悪い」という基準を知っていた。でも「カジュアル化」した結果、悪いというルールすらよくわかってない人達や、悪いという「理屈」を理解出来ない人達が参加するようになってしまった。悪いという自覚もない。だから、「一部の不心得者」の行為ではないんじゃないかと言ってるわけです。問題意識の有無じゃなくて、もはや問題の存在そのものが認識出来てない。そして、そんな人達がいつでもその気になれば、どんどんコピーをしてそれを流せるようになってしまっている。それが「カジュアル化」だというわけです。これはもう「いじめ」とか「モンスターペアレント」とかの問題に近い現象で、なかなか向きを変えることの出来ない「潮流」なんじゃないかなーと。

ここで一応、質問してみる。おごちゃんは、「現在、そこらじゅうにある違法アップロードのおかげで、皆がカジュアルにコンテンツを吟味する機会が増えたため、現在、市場で売れているものは宣伝の良しあしに関係なく、本当に良いものだけになってきた」と考えているのだろうか。

いやぜんぜん。ずっと言ってるように、「ダメなものが消える」ということと「良いものが伸びる」というのは、似て非なることだと思ってますから。

ずっと言っているように、私は「違法アップロード」の影響は、「良いものを伸ばす」方向ではなくて、「ダメなものを消す」方向に効いていると思います。どうせ良いものはどうやっても伸びるわけで。仮に「違法アップロードされても良いものはお金を払うから」みたいなことを言う人がいたら、私は全力で否定します。どうやったって良いものは売れる。それが良いものなんだから。もちろんその「良いもの」ってのは営業力も含めた総合力で決まってしまうわけですが。

もちろんダメなものが消えれば平均値としては良いものになるのでしょう。でも、平均値なんてのは実際にはどうでも良くて個別にどうであるかが大事ですから、平均値を云々してもしょうがないでしょう。

でも、「どうしようもないもの」は、こと商業ルートに関する限りでは、かなり消えているように思います。もちろんこれは「視聴者の吟味の結果」だけではなくて、景気の後退によって販売する側が選別しているという意味もあるでしょうが、「騙したな。金返せ」と感じるものは減ってるように感じてます。最近うっかり買ってしまったのは、ジンギスカンの演奏じゃない「もすかう」くらいかな。もうかなり前ですね。その後もいろいろ妙な企画ものを買ってますが、そんなに外れはない気がします。その分、冒険は減ったかも知れないけど。まぁ例によってサンプルは片寄ってますが。

「事前に見せない」ものより、「事前に見せてくれる」ものを探すべきなのではないか

ふと振り返ってみれば、少なくとも自分自身はだんだんそんな傾向になっているような気がします。多分、「一番高コストにつくのは自分の時間」ということを感じ始めている人であれば、多分だんだんそうなる。見せてくれないのを一生懸命探す時間はもったいないから。

私がCDはサクっと買ってしまうというのは、そういった事情もあります。高々買ってしまえば2,3000円のものを、手間かけて割れもの探す時間がもったいない。でも、おおっぴらに公開されてインデクスされていれば、そっちの方が早いわけで。私の探す順序で言えば、

iTMS > Amazon >>>>> ニコ動 >> 割れもの

ですね。CDに関してはお店にはまず行きません。時間のムダだから。

ニコ動や割れものを探さざるをえないのは、絶版になっている音源があるからです。本当は著作権者はもっと入手性を保証する努力をして欲しいところです。割れものって品質の低いMP3だったりして音悪いし。

もっとも「最初がニコ動」なものもあって、それは狙って探してるわけでもないから、時間のムダとか思わないわけですが、それは気にいって音源が入手可能なら買うことにしてます。まぁそれでも私にとってニコ動で一番価値があるのは「〜てみた」のネ申演奏なんですが。これはさすがに売ってるものはあまりない。最近はボチボチあるようですが。

残りの話もすべて見ないと、ほんとうにお金を払いたいものかどうか判断できないだろうか。

アニメはわかりませんが、私の場合あるオムニバスのCDを買うのをやめる判断するために結局全部聞いてしまったことがあります。

件のCDは、元々演奏者と内容に疑問があって、Amazonレビューでも結構酷いことが書いてありました。それでもやっぱり欲しいなと思って、iTMSで1曲だけを試聴した上で買って、確かに微妙な出来だなと理解してました。それでも「1曲くらいマシなのがあるだろう」と期待をかけてたわけです。ところがある日、ニコ動にそれがまるっと置かれているのを発見して、全部聞いてみたわけです。そしたら、見事に全部ダメ。音質云々についてはCD買えば済むのですが、企画そのものがダメなものはどうしようもないなぁと納得したわけです。まぁこれもサクっと買ってしまってダメ出ししても、大した実害はなかったのですが、たまたまAmazonでチェックだけして放置中に聞いてしまったんで、「やっぱやーんぴ」という結論になったわけです。

これは極端な例なのかも知れませんが、私のように「1曲でもいい曲があれば、他のトラックはカスでもいい」と思っている人にとっては、「ダメ」と判断するためには全部聞くことになる。逆に「良い」と判断するためには1曲いいものを聞かせてくれればいいわけですが。

私が「ダメな方」の判断についてばかり書いているのは、こういったことからです。良いものを選ぶのは簡単だけど、悪いものを避けるのは難しい。

ついでに、前のエントリで、私がCD買うのは所有欲だという話を書いてましたが、どうもゆっくり考えてみたら違うみたい。どうやら私は「オリジナルというバックアップ」が欲しいらしい。つまり、サーバに置いてるファイルをオリジナルからいつでも復元出来るようにするために、オリジナルを持っておきたいからのようです。だからiTMSじゃダメなんだな。

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