マスメディアってもういらなくね?

楠君のblog

明日のWebジャーナリズムと報道規制

経由で、

秋葉原刺殺事件に遭遇して

を読んで。昨日はいくつかustがあったらしいので、私の見たものと同じかどうかは知らないけど、昨日のことはustで見た。

まぁうちから徒歩10分のところの事件だから、メディアに頼らないでも自分の目で見えるわけだったんだけど。

ほんの数年前まで、「ネット上の記事」というのは、ほとんどが二次情報だった。この状況は今もそんなに変化していないけれど、「ほんの数年前」と大きく違うのは、「ネット固有の一次情報」が随分と増えたということ。件のustもそうだし、報道各社が使っていた「犯人逮捕の瞬間」なんてのもネットからのものだ。

よく考えてみると、「グモ」の話題、交通情報の類、超ローカルな話題はネットの方がはるかに迅速で詳しい。世の中の大事件なんてのは、グローバルな目では「大事件」だけど、その近くにいる人にとっては「超ローカルな話題」でしかない。つまり、ある意味ネットでの一次情報は既にマスメディアの一次情報を凌駕しつつある。

これから多分国際的な話題もどんどんそうなる。また、blogのように当事者が直接情報を流しているものもあるから、政界財界あたりの話題も一次情報(0次情報?)もどんどんネットに流れて行くはずだ。今は「アルカイダだけど何か質問ある?」というのはネタスレに過ぎないが、遠からずネタではなくなる。事件は人が起こすもので、人は誰もネットを使うことが可能になるということを考えれば、遠からず

一次情報は普通ネット

という時代が来てしまうはずだ。諸々の「炎上」事件で本人特定されてしまったり、スネークが押し寄せてしまったりというのは、その傍証である。まさしく「群衆の力」だ。個々人にとっては「近所のこと」に過ぎなくても、遠くから見れば「事件現場」だということは、なかなか小さくない。

ほんの数年前まで、これは単なる妄想に過ぎなかった。いくつかそんな事件があったにせよ、それは「たまたま」に過ぎなかった。「ヤマギワの火事」でもそんな状態だったけど、それは当時としては「たまたま」だったと言ってもいい。だけど、今やそんな壁は軽く超えてしまって、「現場からの生中継」までネットで出来るようになってしまった。この変化は本当にここ数年のことだ。

そう考えてみると、「マスメディアによる報道」というものは、遠からず不要になってしまう。少なくとも「真実を伝える報道」みたいなキャッチフレーズはまるで意味を失なってしまうことになる。その時に「報道機関」はどうするのだろう?

PS.

ちょうどいい感じに楠君が釣れてくれてる。同様のことは私も前に書いてるのだけど、その時の背景やコメント等では、編集の重要性ということの支持はあまりなかった。情報にはノイズがつきものだけど、そのノイズを減らすは受け手の努力には限界があって、出し手の方でも努力した方がいいだろうということも思っている。ただ、それは個人的に感じているものであって、世間で「やっぱりそれはいらない」という声が多くなってしまえば、結局は存在出来ないことになってしまう。そういったことも含めて「どうするのだろう?」なのよね。

マスメディアってもういらなくね?” への2件のコメント

  1. わたしも、マスコミはスポーツニュース(特にパリーグと大リーグ)を除いて、いらないかなと思います。今は、パリーグの実況中継を、ソフトバンクがネットで配信しています。隔世の感・・・、昔は、球場にいって南海・門田のすごいホームランを実見して、おうちに帰ってプロ野球ニュースをつけると、南海の試合は、「その他の球場の結果です。」となって、スコアだけが無声で1秒ほど写るだけでした。それも、巨人や阪神、セリーグの試合を思いっきり実写入り、解説付きで流したあとに・・・。その後は、ゴルフなどに話題が移っていきます。『どこが、プロ野球ニュースやねん?』と思いました。

  2. マスにはマスとしての限界がありますから。

    そういった意味では、価値観の多様化がマスコミを亡ぼすんだということも言えますね。

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