小倉せんせのblogのおかしい点(国語的な意味で)

最近の小倉せんせのエントリより。

出所のわからない一次情報を収集し公表することの意味

前にも書いたように、小倉せんせのblogはRSS引くのやめてしまったので、はてブに上がってる時にしか見ない。でも読む度に言ってるそのことの意味そのものではなくて、文章に違和感があった。その正体がよくわからないでいたけど、件のエントリ見て気がついた。

あまり「ITに強い弁護士」の悪口を言うと自分の首を締めることになるので、程々にしておかなきゃなのだけど、「文章の書き方」というお話の意味で。

ストレートに結論を言えば、小倉せんせの文章は、

客観性が期待される文脈に主観的な表現が多い

という問題があることに気がつきました。これはあくまでも「表現」の問題であって、その内容それ自体ではないことに注意して下さい。

内容に賛否があるのは何であっても当然です。しかし、そういったことは別にして、表現が主観的になっていれば、言っていることは結局のところ主観だと解釈されてしまうということです。

たとえば、件のエントリを例にすれば、

さほど意味がある話だとも思えません

その覚悟があるのか、疑問です

無駄という気はしますが。

というような箇所です。

「断定的な表現を使うことによってあげあし取られる」のを避けたいとかって理由があるのかも知れないけれど、語尾が来る直前までのところで「客観的断定」を期待しているのに、語尾のあたりで「主観的ぼやかし」になっているものだから、文章の展開として非常に不愉快なのです。

確かに一々調べて書いているわけじゃない文章で「客観的断定」をされてもどうかとは思うけど、それならそれで「主観的だと言い訳した上での断定」くらいはして欲しいところです。だいたいにblogなんてものは主観的なものなのですから、「主観的な断定」はblogの文章としては正しいのではないかと思います。たとえば最初の文を例にすれば、

さほど意味がある話だとは思いません

であれば、さほどおかしい文章だとも思えませんwww

これだけ見ればわずかな違いにしか見えませんが、読む側は気に入らなければ読まないだけの話なので、「弱い主張」的な文体よりは、断定的な言い切りをした方がより考えが伝わりやすいはずです。また、文章から感じる「のらくら逃げ道ばかり作りやがって」という印象もなくなります。

また、前にも書いてますが、「弱い主張の述語」はこと他人に読ませるつもりの文章であれば避けるべきです。意思薄弱な主張は毒にも薬にもならないので、読者の時間を無駄にしてしまいます。ですから、例に挙げている「思えません」「疑問です」「気はします」というのは、本当のチラシの裏に書く場合は別にして、他人が見てしまうような文章では使うべきではありません。主張したいのであればもっとはっきりした述語にするべきですし、自信がないのであればそもそもそういった文章を公開の場に書くべきではありません。

まぁ「あげあし取られないように他人を耶愉する」という意味では、正しい文体だとは思いますが、そういった意図がないのであれば、そのような表現の文章は使うべきではありません。まぁこんな偏狭の雑文では、もはや言うだけ無駄という気はしますがw

PS.

あいまいな表現があったので、一部表現を直してます。タイトルがブクマと違うのや、☆がうまく本文を拾ってくれないのはそのためです。元がどうであったかは、それらを見るとわかると思いますが、論旨まではいじっていません。

PS2.

もうちょっとつけ加えると、あの表現だとどんなに正しいことを書いていても、「皮肉」を言われているような気しかしないということ。どんな論でも賛否あるのは当然で、小倉せんせのblogも多分「論」だけであれば、それなりに支持する人もいるはず。でも、全体に事象を皮肉混じりに主張しているから、そのことで反発されている部分は少なからずあります。それこそ「匿名blog」であれば、そういった物事を斜に見たような、それでいて教養が背景にあるよという文章は支持されるでしょうが、それなりに名前の売れた人が実名で書いている文章でやってしまっては、無意味な反発をされるだけ。「匿名blog」をパロディにしてるのであれば、「芸風」としてアリなのでしょうが、それは「名前の売れた実名」でやるべきことではないと思います。

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