私の文章の書き方

昔、mixiで書いたものなんだけど、消そうと思っているので、ここに再掲。

私のエントリはどれも長い。typoは少なくないけど、長文にありがちな「途中で論旨がおかしくなる」ということは少ない。これはそういった長文でも破綻せずに、文章を書く方法です。「いや、お前の文章は支離滅裂だ」と思う人は読まなくていいけど、「なんとなくちゃんとまとまっている」と感じる人は参考にして下さい。

私が文章を書くのはかなり速いです。それはtypoが結構そのままになっていることでわかるんじゃないかと思います。とは言え、「ながーー」と思うようなものでも、30分はかかっていません(調べものが入るともっと時間かかります。ITProの連載だと4時間くらいかけてます)。もちろんそれは書いてる時間が短いだけで、考えている時間はもう5分くらいプラスされます(ネタ探しにはもっともっとかかります)が、まぁそんなもんです。それくらいの時間でこれだけの量書くのは、「能力」とかではなくて、「方法」です。

まず心掛けていることは、よく言われる

「起承転結」を考えること

です。これは漠然とではなくて、「起承転結」で章立てして、そこを埋めて行くというくらい具体的なものとして考えます。つまり「起には何を書くか」という感じで考えて行きます。ただ、普通の文章ならこれでいいのですが、「駄文」の時にはここで「落ち」が必要です。だから、「起承転結落」という構成です。文章の長さや内容によっては、この「起承転結落」の全てが必要でないこともあります。特に「転」はない方が良いことも少なくありませんが、そんな時も「基本」として考えておくべきです。また同時に、読者を「どこに連れて行くか」もセットで考えます。

個々の段落は基本的にはファーストクライマックス

にします。つまり、結論を先に書いて「主張->理由」という構成にします。こうすると読み手が話の流れを見失うことが減ります。もちろん意図的に逆にすることもあります。たとえば、落ちを先に書くとしょうもないですから。このように、ファーストクライマックスが万能ではありませんが、基本はそうなることは覚えておきましょう。

1文はあまり長くならないように。何文字以内とかという絶対的な決まりはないですが、

途中で接続詞っぽいものが入るような文章になったら負け

です。素直に2文に分けましょう。別の目安として「読点を2個まで」という感じでしょうか。読点はついたくさん打ってしまって、私もそうしてしまいがちです。しかし、あまり多いと文章が見苦しい上に、意味不明瞭になってしまうことが少なくありません。

日記のようなところだと、行を詰めたままで段落を「字下げ」で分けるよりは、字下げするかどうかと関係なく余分な改行にする方が見易くなります。ちょうど今書いているような書き方ですね。また、私は理系の文章書きなので、国語の正書法についてこだわらず、

内容が通じた方の勝ち

だと思っています。だから、「」や()を使って、強調したり補足したりしています。文系の文章ではあまり良いことではないと思いますけどね。

文頭と文末は同じ言い回しが続かないように。特別な効果を狙う時は別ですが、文頭や文末の同じ文章が続くと、格好悪い上に頭悪そうに見えます。「です・ます」みたいにどうしようもないものは別ですが、

疑問形の終わり方や不明確な終わり方は
いくつも続くとみっともない

ものですし、くだけた表現が続くのもみっともないものです。

同様に文頭に来る語(接続詞や主語)が同じものが繰り返されると、あまり格好のいい文章になりません。長文になると「だから」や「しかし」はつい多用しがちですが、「だから」はさて置き、

「しかし(逆接の接続詞)」は多用すると意味不明になりがち

です(出現する度に逆のことを言うわけだから)。「だから(順接の接続詞)」は多用しても意味不明にはなりませんが、みっともないことは同じなので、複数必要な場合は他の言葉に置き換えることを考えます。

当然ながら「文体」は1つの文章としては統一のものにします。これも特別な効果を狙う場合は別ですが、一般的には途中で変えるとみっともないものです。

私は述語にはもう1つ心掛けていることがあります。それは、

弱い主張の述語は使わない

ことです。たとえば、「〜と思う」という表現はなるべく避けて「〜ではないか」と他人にも同意を求めるか「〜であるべき」と強い主張にするといったことです。これらは文章をはっきりさせる効果があると共に、筆者の「弱さ」を隠すことができます。やり過ぎると「なまいきな文章だ」と言われますが、主張のはっきりしない文章を読まされるのは迷惑だったりもしますから、はっきりと書くべきです。ただ、それでは表現がキツくなり過ぎることもあるので、そんな時は「〜ですね」みたいにくだけた文体で弱めることも考えておきます。

あと、「mixi日記」ということになると、

自己完結させない

ことが重要です。自己完結型の文章だと、つっこみどころがなくて、コメントが書き辛いものです。完結させた文章を書き留めておきたいという時にはそれでもいいですが、だいたいに「mixiの日記」というのは「なれあい」のために書かれるものですから、「なれあい」の余地を残しておくべきです。つまり、どういった形であれ「一言何か言いたくなる」ようなものが必要なのです。「他の人の書いたコメントも含めての文章」という意識でもいいでしょう。何にせよ、mixiの日記は「他人のコメント」が命です。

実はこれは「mixiの日記」だけではありません。プレゼンみたいな場合でも同じです。文章を書く時というのは、たいてい「言いたいことは山ほどある」ものですが、「全てに他人が興味を持っているわけではない」ものでもあります。「つっこむ余地」というのは、「興味を持っているところを教えてもらう」ための方法でもあります。

文章を書く時に一番重要なのは、「ネタ」であることは言うまでもありません。ネタの拾い方は人それぞれなので、ここでは書きません。ただ、そういった「ネタ」はそのまま使ってもダメで、「いかに料理するか」を考えなければなりません。

いいネタにいい料理

です。もっとも、特上のネタは生で出すという手もありますが。

とまぁこんなところが私の文章の書き方なわけですが、これは一種の「フレームワーク」となっています。ネタをフレームワークにあてはめて必要なものを加えて行くだけですから、「それなりの文章が早く」書けるわけでもあります。

私の文章の書き方” への4件のコメント

  1. >自己完結させない

    うちのネットの師匠も同じこと言ってました。
    ツッコミさせる余裕を残しておかないと、
    「はぁ、そうですか。」で流されると…。

  2. 老婆心ですが、文の中に2個までなのは「句点」(。)ではなく「読点」(、)ではないでしょうか。

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