やっぱり小中学生に携帯はいらない

最近の(ちょっと前の?)のお題は、表題のネタらしい。

携帯問題ごときに国が一々介入するな!

反論する人達の意見は一々正しいと思う。基本的にはこの手の頭悪い規制は私も賛成したくない。でも、これについては規制すべきだと思う。なぜなら、「日本の親」って、規制反対論者が期待する程度に頭良くないから。

馬鹿にレベル合わせてどーするって話はある。その主張は正しい。でも、子供のしつけどころか、自分の行動すら満足に律することの出来ない「親」ばかりなんだから、

子供に携帯を持たせるか否かぐらい、親と学校と子供に決めさせろ!

なんて無理なんだって。それが無理でなかったら、そもそもこんな議論が起きる元の諸々が起きてるわけねーじゃん。

反対している頭いい人達には申し訳ないけど、あなたがたが期待してる程、「日本の親」なんてのは、賢くも自律的でもないんだよ。馬鹿には馬鹿に合わせた規制が必要なのさ。

てか、mixiの「足跡」を見ていて最近気がついたのは、

若い親 ≒ DQN

なのよ。嘘だと思ったら実際に見てみるといいよ。殺意を感じるような「親」がいっぱいいるから。

そろそろ「家庭教育の役割」なんていうタテマエはファンタジーだと諦めてしまう方が世の中のためじゃない? 親子ともども社会教育の機会を失なう? いや、どうせもう無理なんだってば。

PS.

結局これは「ナイフ規制」みたいなものなのよ。ナイフ規制ってのは、凄く頭悪いことだと思うし、賛成か反対かと言われれば、私は大反対。でも、それで馬鹿やる奴が看過出来ない数発生して、それでマズいことが起きれば現実的な解としてしょうがない。「携帯規制」を反対する人は同じ口で「ナイフ規制」も反対すべきだ。

ナイフについてのリテラシーってのは、私は本当に大事だと思ってる。でも、「教育」だの「ルール」だのの「綺麗事」でどうこうするのは結局無理だった。だから、「現実的な解」としては規制はしょうがないかなと思うようになった。親が親であることを放棄し、教育機関が教育機関であることを放棄してるのだから、そこにさらに別の期待をかけるなんて、一部のマジメな人達に苦労を強いるだけで、何の実りも期待出来ない。

PS.2

mixiで「それは臭いものに蓋しただけだろ」ということを言われたんだけど、私はそれを「しょうがない」と思うわけ。もうガキの携帯の世界ってのは、「臭いウンコがゴロゴロ転がっている」状態だと言っていい。で、その「ウンコ」はうまい捨て方が見つからない。そしたらしょうがないから「蓋」して捨て方探すしかないわけ。本当だったら、「ウンコ」の始末はちゃんとしなきゃいけないんだけど、それが出来なくなってしまっているのが現状。「他にも抜け穴がいっぱいあるだろ」とかって話もあるけど、緩い蓋でもいいからまず蓋しようよと。それで落ちついてから次を考えるべきだと思うんだな。