タグ屋の奴等って、なんであんなにパクりにうるさいんだ?

上から目線シリーズ第2弾w

どこよりと書かない方が平和そうなんで書かない。某サービス周辺の批評を見て思ったのが、表題のこと。

なんでタグ屋(ウェブデザイナ)って人種は、パクりに不寛容なんだ? もうちょっと拡げると、いわゆる「アート」な奴等って、他人が真似することに対して狭量な気がしてならない。

いや、誰がオリジナルだということを主張することについては、あれこれ言うつもりはない。また、無作法な奴等が不愉快だとか、そういった感情はわからんでもない、つかわかる。でも、いわゆるオープンソースな業界にいる私からすると、パクりだなんだとうるさく言う感覚が理解の外だ。

そもそも、お前らって、

他人の作品で勉強したことないのか?

当然、プロなら他人のコード見て勉強してるよな? 他人のデザイン見て勉強してるよな? そういったことをしていながら、他人が自分のコードやデザインを真似することに対して、どうしてそこまでうるさいのだ? 世の中のほとんどの「オリジナル」と呼ばれるものは、他人の「オリジナル」の上に立っているものじゃないか?

繰り返しになるが、無作法な著作権侵害行為にまで寛容になれと言うつもりはない。それは明確にダメな行為だ。でも、「○○風××」というような一種のパロディみたいなものにまで、グダグダ言う必要性ってどこにあるのだ? オープンにプログラムを書いている者からすると、そういった成果物なんてのは、

パクられてなんぼ

だとさえ思う。私なんぞ公開しているコードをパクってくれたら、「パクってくれてありがとう」とか言っちゃうよ? だって嬉しーじゃんか。ダメなものをパクる馬鹿はいないわけで、パクられるからにはそいつがより良いと思ってくれてるってことだよ。ああ、こいつは俺のコードの良さをわかってくれるいい奴なんだなとか。そんなこと思ったりもする。

そりゃー、いくらオープンだからと言って、勝手にプロプラにされて、それで金儲けでもされたらいくらか腹は立つ。でも、やっぱり「ふっ。俺のコードがそんなにいいか?」って優越感だって感じる。儲けてる奴を見たら、「俺にも分け前よこせ」とは言うかも知れないし、ライセンス違反について文句は言うだろうが、別にそれ以上には腹は立たんよ。だから、「オリジナル」へのリスペクトは欲しいと思うけど、求めるのはそこまでだ。

そもそもコードをパクられたくらいでは、

損なんてしない

んだから。それよりは「名誉」の方が嬉しいさ。

タグ屋の奴等の感覚はよーわからんな。同じコンピュータ上のコードを書いていながら、こんなに理解出来ない感覚というのも不思議だ。それとも、真似されたら死んでしまうような、貧弱なオリジナリティしか持ってないのかね?

私は「技術屋の甲斐性」というのは、

作り続ける能力

にあるのであって、作ってしまった結果は金になったらそれまでと思うものだと思う。つまり、ストックよりもフローだ。だから、「これだけの作品があります」というのは、「能力の誇示」には意味があるけど、「甲斐性」そのものとは直接の関係はないと思っている。そういう意味だと、「これだけパクられてます」ってのも立派な「能力の誇示」になるのだから、それで十分じゃないかと思うのだ。一度使ってしまったものは、他のクライアントには使えないんだし。

まぁタグ屋の世界、パクって楽して金儲けてる奴等も少なからずいることは承知だ。でも、別にパクられた方はそれで損をしているわけじゃない。確かに劣化コピーがいっぱい出回れば、わかってない客はパクりのタグ屋に行くかも知れない。でも、その客がそれで満足してしまえば、結局それまでの客だったに過ぎないし、あるいは自分の能力がその程度の評価しか受けてなかっただけかも知れない。前者ならどうせその客を取ったところで(真に技術を評価してるわけじゃないから)値切られるだけだし、後者なら自分の精進不足を恨むべきだ。どうせ長期的には損じゃない。

というのが「オープンソースプログラマ」としての私の感想。それが普通だと思っていると、タグ屋が「パクりやがって」と息巻いたりするのが理解出来ん。

タグ屋の奴等って、なんであんなにパクりにうるさいんだ?” への2件のコメント

  1. > 一種のパロディみたいなものにまで、グダグダ言う

    パロディの方が出来が良いから? :-)

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