「血税」

長々と書く程のことじゃないので、「もっと読む」はない方針で。

個人的な経験でしかないけれど、税金に対して「血税」という表現を使った文章で、恣意的な私論の展開でない文章をまだ読んだことがない。

私が読んだことのある文章は、ほぼ全てが「税金の無駄使い」という思考停止の強要をしている文章だ。

そもそも「血税」という言葉は感情に満ち満ちた表現だから、そこで冷静な論理の展開なぞありえないわけだから、「血税」という言葉をNGワードにして読むべき文章の選別をしても何ら問題はないように思われる。どんなに正当だと思うことを強く主張しようと思っていても、

使ったら負け

だな。

冒頭に「ない方針」とか言いながら、ちょっと余分なこと。

「血税」だの「税金の無駄使い」だのという奴に限って、確定申告すらしていないという現実。そもそもサラリーマンで自分の納税額がいくらか言える人は少ない。所得税すら満足に把握してない。これは健保や年金も同じ。あれこれ言うのは結構だが、その前提となることくらい押えておこうよ。

「××してから○○を言え」というのは、結構無茶な「××」を前提としているものだけど、「自分の納税額くらい把握してから税金を論じろ」と言った時の「自分の納税額の把握」は、無茶な前提ではないと思う。

PS.

ネット見てると「納税者」という言葉もあった。これも恣意的な政策批判に使われることの多い語だな。

もちろん税金の使途を「納税者」は知るべきだ。しかし、自分の狭い見識の中で無駄と断じることは慎しむべきだ。一見わかりやすい「ハコモノ行政批判」であっても、物事はメディアを通じてしか知ることの出来ない人達の想像を超えた「事情」があるのだ。