短慮な馬鹿がいる限り、顕名でマトモなことを言うには勇気が必要過ぎる

はまちちゃんのblogより。

本名バレてもへっちゃら?

私は基本的に発言は顕名だ。その理由は以前に書いたとおり。でも、それは誰ににでも出来るとは思ってないし、それゆえのアドバンテージでもある。でも、それをアドバンテージと思う者だけが発言する社会って困らないか?

はまちちゃんの言ってることは、非常にわかる。彼のエントリの中では「変質者」についてだけ書かれていたけれど、これに限らない。いわゆる「粘着」なんてのは、こっちにいわゆる「萌え要素」がなくてもつけ回して来る。だいたい粘着して来る奴は精神的にどっかおかしくて、マトモな話が通じない奴が少なくない。マトモな論理が通じない奴もいれば、精神的におかしくなくても、

最初から理解する気がない

奴もいくらでもいる。つまり、犬養毅の例を持ち出さなくても、「話せばわかる」なんてのはファンタジーであって、「問答無用」の奴は少なからずいる。それは五・一五事件の時代のことだけじゃなくて、今日もそうであることに変わりはない。そうなると、「マトモなことを言っても殺されない」ためには、「問答無用」と殺しに来る奴等から身を守ることを考えなければならない。「問答無用」と言う奴等に理屈は通じない。

さて国会では秘かに「児ポの単純所持」を禁止する法律が出され、2ちゃねらー達は大騒ぎだ。

そこに一種の自業自得感がないわけじゃないが、そんなことはどうでもいい。この法律自体に非常に危機感を持っている。個人的には大反対だ。

ところが、この法律の目的それ自体があまりに「わかりやすい正義(以下瞳キラキラと表現する)」なものだから、顕名で反対するのは実に難しい。一部blogや2ちゃんでは「反対が大勢」という感じさえあるのだが、こういった「言論の制限」に強く反対する勢力の人達でさえ、あまり表立って反対していないように見える。ここに、「盗聴法」の時のような「自分は正しいから関係ない」的なものがあるとも思うのだけど、その辺は今回は除外。そっち方向の話が読みたい人は、他のところに行く方がいい。私が思ったのは、この法律への「反対のしにくさ」だ。

こういった、「瞳キラキラ」系のものに反対すると、すぐレッテル貼りに使う奴が出て来る。「児ポの単純所持の禁止に反対」とか言うと、「お前ロリだろ」とか「やましいことでもあるのだろう」とか言い出す奴等だ。「盗聴法」の時は後者だけだったからまだ良かったが、「児ポ」だと下半身だの性的嗜好だのとセットにされるから、ますますレッテルの糊は強力だ。

まー、私も若い娘は好きですよ。ロリですよ。いやーそのロリでもね、秋葉歩いてて目につくようないわゆる「幼女もの」は見てて嫌になるのよ。あれはロリじゃなくてペド。ペド方面なんて、妄想で存在するだけで気持ち悪くなるし、「わかりやすい児ポ」ってのはたいていペド方面。個人的には「アイマス」も微妙に勘弁なところがあったりする。二次性徴も迎えてない子供に性的に萌えるなんて、精神異常だろwww

というあたりの個人的趣味。だから、普通に禁止と言われりゃ残念だなーとは思うけど、例によって「ま、いっかメソッド」を発動すれば済む。個人的趣味との整合性を考えれば、一生懸命反対する必要はない。だいたいこの歳になれば、20代後半でも十分「若い娘」だから、何も「御禁制の品」に手を出すこともない。と、まぁ反対ではあるけれど、それは個人的必要性ではない。多分あちこちに「個人的に必要性はないけど、一生懸命反対している人達の書いた文書」ってのは存在している(*1)から、この辺の深い部分はそっちを読んでくれるといい。ここで問題としたいのは、こういったものに反対するには、無用に勇気を必要としてしまうということ。

世の中、私が書いたように、しれっと「私ロリですよ」と書ける人は少ない。そんな好みがあろうと、それを人に知られたいと思う人は少ない。ましてや、そんな好みがないのにそういったレッテルを貼られたい人はもっと少ない。「盗聴法」の場合も同じで、「盗聴法反対 = 犯罪者or予備軍」的なレッテル貼りをされるのが嬉しい人なんていない。特に世間で思想的なスタンスについてはいろいろあっても、いわゆる「硬め」な評論を書いている人は嫌だろう。

そういったもので貼られる「レッテル」は単に風評に過ぎないし、たいていはスルーすれば済む。それで済む人はスルーしていればいい。でも、誰もがそれが出来るわけじゃない。「風評」を問題視しなきゃいけない人達も世の中にはいっぱいいる。前の「ラーメン花月」のしつこい恫喝も、彼等が客商売で風評を気にしなければならないことを考えれば、ある種当然でもある。

「児ポの単純所持」の法律についても、じっくりよく考えればある種「何でも出来る」危険性を持った法律であることはわかるはずだ(このマンガがわかりやすい)。警察や司法を信用していない人だったら、当然に反対するべき内容だ。でも、「瞳キラキラ」な法律で、本来求めるところは正しいものだから、表立って反対側の論陣を張るのは難しい。ましてや、反対者にあまり嬉しくないレッテルが貼られる危険を考えるとなおさらだ。

そうなると何が起きるかと言えば、

反対の論客は匿名ばかり

になってしまう。短慮に、理解しようとしないでレッテル貼りをしてしまう奴等に対抗するためには、いくら「正しい」ことを言うためであっても、保身することも考えなきゃいけない。それでなくても「瞳キラキラ」な正義っぽいものに反対するのは難しいのだ。そこにとんでもない罠が隠されているのを発見しても、「正義っぽい」部分で瞳をキラキラさせて歓迎する人達は、

反対者は悪の勢力

とするためのレッテル貼りをしてしまう。そして、そのレッテルがいかに事実無根なものであっても、風評被害で困る人は少なからずいる。

こういった「瞳キラキラ」な法律は、細かく見ているとヤバい部分は結構ある。ところが、それが「瞳キラキラ」であるがゆえに、反対をするのは難しい。問題点をわかりやすく指摘するのも容易じゃない上に、賛成者による「善意(という名の悪意)」のレッテル貼りに対抗するのも難しい。そうなったら、「これは実はヤバいんだよ」ということを知らせるためには、ヤバいという認識を持つ人がある一定数に達するまでは「レッテル貼り」から逃れる、一種の

地下活動

が必要になるのだ。ある程度の数に達してしまえば、貼られたレッテルを剥がすのは難しくなくなるから、何も地下活動することもないが。

顕名原理主義者達は、こういった意味の匿名も含めて「ネットでも顕名であるべき」と言うつもりなんだろうか? 「顕名でしか発言出来ない」という環境を作り上げてしまったら、「こういった場合には匿名で」ということは不可能になってしまうと思うのだが。それとも、2ちゃんや匿名コメントをスルー出来ない「弱い人」を守るためには、治安維持法復活もやむなしと思っているんだろうか? これは「極端な例」ではないと思うが。

PS.

*1 件の法案自体は幸いなことに日弁連から意見書が出ている(ただし、前回提出の時のもの)。これも日弁連という組織だから出来ることで、「弁護士の誰か」だったりすると、某弁護士への粘着みたいなのがわいて来るに違いない。