この雑文が「雑文」に過ぎないわけ

←に書いているように、この雑文は「雑文」に過ぎない。

書く方がたいそうなことを書いているつもりがないというのもあるのだけど、ここの文章構成がいわゆるジャーナリズムっぽい構成になっていないということがある。本当に他人にタイムリーに情報を与えるつもりだったら、この構成ではダメなのだ。

まぁblogというものが、「日々更新されるwebページ」という意味であるなら、確かに紛れもなくこのページはblogになるだろうと思うのだけど、ここの文章構成からすると雑文でしかない。なぜなら、このページの文章のほとんどが、普通の「起承転結」の文章で、かつラストクライマックス構成だからだ。

本来、他人にタイムリーに情報を伝える文章は、新聞のような構成でなければならない。新聞の文体は、「結」が最初に来る。対象物によってその後に来るものはいろいろになるが、最初に「結」が来るのは大原則だ。これは聞くところによると、「新聞はいつでも文章をぶった切られるかも知れないから、大事なところは先頭に持って来る」ということらしいのだが、日々読む文章なんだから、「早く結論を言え」ということに応えるということもある。毎日読まされるblogも、多分この構成の方がいいんじゃないかと思う。少なくとも「もっと読む」を開かなくても、なんとなく書いてあることがわかるように書くべきだろう。

他方、普通の日本語の文章は、「起承転結」で書かれるものとされている。急ぐ場合は「転」を省くことにより見通しを良くすることもあるが、だいたいこんな構成にするのが普通だ。。このページもだいだいそうなるようにしている。つまり、普通の文章書きのセオリー通りに書いている。

この形式の良い点は、「ゆっくり全部読めばちゃんと理解出来る」ことであり、悪い点は「ゆっくり全部読まないと理解出来ない」ことだ。つまり、忙しい人向きじゃない。毎日更新されるページが、「ゆっくり読むこと」を要求するというのは、なかなか迷惑なことなんじゃないかと思う。

だから、いつも読んで下さっている方々には申し訳ないなーと思いつつ、「暇なんじゃね?」などと失礼なことも思ってみたり。そんなことだから、忙しい人は琴線に触れたものだけを読んで下されば結構です。そう言った意味では、RSS引くよりもはてブでそこそこブックマークされたものだけを読むというのは、正しい読み方かも知れない。

そんなことを言う暇があったら、ファーストクライマックスのジャーナリズム体にすりゃいーじゃねーかという話もあるんだけど、どうもあの文体は肌に合わないのと、「じっくり読む」ことに向いていないので、あまり好きではないのだ。

だから私は「雑文」を書く。blogじゃないのに、毎日のように。