まずは「機関」が欲しい

小倉せんせ来場記念エントリ B)

妥協する気がないのは実名至上主義者の方でしょ

の方にお越し戴いたので、ちょっと説明不足だった点を補足。

以下面倒臭いので、損害賠償や刑事罰の類を全部ひっくるめて「報復」と書く。

件のエントリで私は、

自分を殴った奴は「どこのどいつだ!」と思うのは当然だし、そいつに報復するなり、訴えるなりしたいだろう。

と書いている。これはよく誤解される「目には目を」と同じで、「同じ報復が上限」という意味だ。1発殴られたら1発殴り返す。そういった意味だ。1発殴られてスルーするくらいの「心の広さ」を持ちあわせてない人でも、殴って良いのは1発まで。2発殴ることも、殴り殺すことも許されない。これはあくまでも古代の法の原則に過ぎないけれど、現代も形を変えてその精神は残っている。「10両盗めばお手打ち」なんてことはありえない。

私は匿名の粘着に随分と嫌な目に合わされている(「壇俊光+逆転裁判」と「生越+援交」でそれぞれぐぐって出て来る共通点がその代表例)。やられた方としてみれば、はらわた煮えくり返って、

こいつ頃す

とか思うのだけど、じゃあ具体的にどうするかを冷静に考えた時に、どうして良いかわからない。

「どうして良いかわからない」の第一は、自分がどんな「報復」を求めているかわからないからだ。もちろん受けた被害を算出して… ということをやれば良いというのはわかるのだが、どう算出して良いかわからない。

現実に私のことを知っている人は、「まぁ生越だし」か「お気の毒」のどっちかの反応だろう。前者は「まぁあるかも知れないね。関係ないけど」で、後者は「なんか電波に絡まれてるよ」だ。どっちにしても、事実上スルーされているわけなので実害はない。よく知らない人に対していろいろあるのかも知れないが、その被害を算出して… ってことの、合理的方法を知らない。いや、弁護士先生は知っているのかも知れないが、私がそれを知らなきゃ弁護士を頼みようもないのだから意味がない。結局、算出不能ということで、「合理的報復」がわからない。

いわゆる「悪評」を流されたことに対する「報復」と言っても、「たかが誇大妄想狂のニート」が悪評を流したところで、それを信用する人がどれだけいるか。同じように、そんな奴に「謝罪公告(広告)」の類を出させてどれだけの意味があるか。私にしてみれば、「事実無根の誹謗中傷」であっても、彼にとっては「そういったものであっても流すだけの理由があった」というのは事実だろうし、頭いい人はそういった彼の「心情」について何らかの想像をするはずだ。仮に彼が「真性電波野郎」であっても、そういった奴に取りつかれる「隙」を作ったのは自分ということにもなるし、「頭いい人達」にはそっちも見えて来るだろう。となると、下手すりゃスルーしちゃってるよりも、ダメージが大きい。

「刑事罰」という手もあるのだが、当時(一番激しかったのは前世紀の終りだ)はネット上の誹謗中傷の類に対して、適当な罪状もなけりゃそれを受けさせた事例もほとんどなかった。せいぜい「威力妨害」なんだろうけど、何をどれだけ妨害したかを説明出来なきゃいけないが、それもどうなるやら。

つまり、「はらわた煮えくり返って」「報復したい」と思っても、それを収めるだけの「報復」がない。となると、こちらが払う「コスト」に見合う結果がない。壇せんせは賠償させる判決を取ったのだが結局未払いらしい。彼にしてみれば「勝った」という事実があれば十分と思われるフシがある。私はそこまで心が広くないし、私なら弁護士頼む金もかかるし… とペイしない。

第二の「どうして良いかわからない」は、当時はこの事件を持って行く先がわからなかった。

今なら弁護士付き合いも多いので、「ちょっと相談」ということも出来るのだが、当時はそれも出来なかった。警察も頼りになるものじゃないし、「発信者開示」についても手続きは面倒臭いであろうことは想像出来たし、それを出来たところで有効な情報が開示される保証がなかった。

これは現在であっても、世の中のたいていの人にとっては同じことだろう。弁護士付き合いもなければ、近くの交番に言っても警察はわからない。だいたい、

リアルストーカ

について言ってもスルーしてしまうような警察が頼りになるとは思えない。だから、この手の話を私が書く時には、毎度毎度「相談機関」ということを書いているのだ。どんな被害があろうと、事件として受理されないと、「その先」はありえないからだ。

また、たかが「ネットで嫌な思いをした」という程度のことで、「警察」を求めるのは、普通の常識ある人の行動とは思えない。第一の「どうして良いかわからない」状態であれば、なおさらだ。警察にしたって、どうすりゃ良いのかわからないだろう。「殴られたら殴り返したい」と思っている人であっても、「殴った相手を殺す」なんてことまではしたいとは思わないはずだ。だいたい、「警察沙汰」みたいに事を大袈裟にしたいとも思ってないだろう。

また、そういった「痛み」というのは、第三者が客観的に理解するのは不可能だと言ってもいい。本人にとって苦痛で苦痛でしょうがないことであっても、「忙しい警察」にしてみれば「我慢しろ」と言いたくなるだろうし、逆に「過剰に理解」されてしまうこともある。そもそも本人だって「どうして良いかわからない」のだ。

つまり、そういった「ネットで不快な思い」をした時に、「ちょうどいい」と思えるような対応がないのだ。そして、それに似合うコストのかけ方もない。「不快な思い」くらいで警察出動もおかしいし、スルー出来る程小さくもない。それは捜査される対象であるISPの類もそうで、いきなり警察から「開示されたし」と文書が来ると困惑してしまう。

「実名原理主義者」達は、「だから実名の抑止力」と言うのだろうが、高度に空気を読むことを要求する日本という社会を考えれば、単に萎縮効果を生むだけでしかなかろう。「不快な思い」を抑止するための方策としては、あまりに弊害が大きい。

そんなことよりは、「ネットで不快な思いをしました」ということを相談出来て、訴えたり警察沙汰にしたりするのは、「次のステップ」として選択可能になる程度に対応してくれる機関がある方がずっとありがたい。「どこのどいつ」がわかれば、殴り返すか頃すかスルーするか選べる。

ISP側にしても「不快情報」のようなグレーなものをいきなり削除要求されても対処が難しい。そんな時に仲裁してくれる機関があれば、安心して対応出来る。

このことは、ネットで実名が必要かどうかとは独立に必要なことだ。ネットに限らず「小さな人権侵害」の類にも有効だし、

実名で不快情報を流す奴等

にも有効だ。実名匿名議論はとりあえず休戦してでも、やって欲しいところだ。

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