最近はいろいろなところでアドバイスをすることがある。また、それ以前からnet newsやML等でいろいろなアドバイスをしていた。これらの多くは、
日本Linux協会会長
なんてこととは無関係に、エンジニアとしての経験がものを言っている。無論、
経験だけで話す奴はステ
なのであるから、理屈の裏付けを用意して喋る。そんなことは言うまでもないことである。
でその内容であるが、私はかなり辛口のアドバイスをすることにしている。なぜなら、
あたりさわりのないアドバイスは無意味
であると思っているからである。いや、別に表現としてあたりさわりのないことを使うことそれ自体は悪いことではないのであるが、そのようにしていると、
流されて終わり
なのである。だから、なるべく流されないように、あたりさわりのある話し方をするのである。あたりさわりのない話し方をしていれば、相手が怒るようなことはないのではあるが、
流されるアドバイスは時間の無駄
でしかない。時間がたっぷりあれば、ゆっくり言い聞かせるようなアドバイスをするの悪くはないのだが、そんなに時間があるわけじゃないし、だいたい聞いている方は子供じゃないんだから、
多少むっとさせて自分で調べる
ようにさせた方が、本人のためである。
これは何も挑発的な表現を特別に選んでいるというわけでは、
ない
正しいことを正しいと言い張り、正しくないことを正しくないと言い張れば、間違っている人はたいてい、
むっ
とする。それだけのことである。で、多少挑発的なスパイスを入れてあげれば、辛口のアドバイスの出来上がりである。当然ながら、それには論理的な説明を付けておく。挑発には、理論武装がなければ、
単なるflame
である。また、理論武装がなければ、そのアドバイスは
無意味
でしかない。まぁ、それを最初から使うかどうかは、戦略の範囲である。
ところが、わざわざそうやってアドバイスしているにも関わらず、挑発のスパイスのせいでひっかかってしまうのである。かなり苦労して(無思慮で有効な挑発なぞ出来るはずがない。挑発は常に計算の上で行われるものである)話を組み立てているのであるが、挑発でつまづくのである。いや、そこで腹を立ててもらうのは、こちらの意図した通りであるからいいのだが、そこで止まってしまうのが困りものである。
もっとも、ちゃんと論理的な根拠も示しているわけだから、感情的な部分だけで反発して終わる人は、
結局それまでの人
ということなので、アドバイス自体が無意味だったというわけであろう。
ついでに付け加えると、私のものの言い方は、
断定的だ
とよく言われる。他の人はそれなりの理由があって意見を持っているのだから、それも認めるような言い方をしろというのである。確かに、いわゆる
考え方
の類は、いろいろな方向性があるのだから、他の意見を否定することは必ずしも正しい行為とは言えない。茶筒は上から見れば丸いが、横から見れば四角だ。こういった見方に属することは、仮に一見矛盾したことであっても、どっちかが正しくてどっちかが間違いということはない。だから、
他説を否定することは間違い
である。
しかし、問題をエンジニアリングに限るなら、
異なる考えはどちらかが間違い
であることも少なくない。そうであるなら、自説は
絶対の自信
がない限り主張するべきではない。他人が正しかったら、それと違う意見というのは間違いであるからだ。逆に自分が正しいと確信があるなら、それを主張しないのは、
誤りの放置
でしかない。だから、敢えて私が自説を主張するということは、すなわち他が間違っていると認識している場合なのだから、断定的なのは当然である。
他説の受容
ということと、
誤りの放置
ということは、根本的に違うことなのだ。ところが、間違いを侵している奴に限って、その辺を混同しているものだから、自説を完全否定されると
寛容でない
と腹を立てるのである。まー、そんな奴にものを教えた私が馬鹿なだけなんだろうと諦めるのではあるが…