おごちゃん的視点のページ1997年5月分


大阪府警

1997年5月20日

ここのところ忙しくって、松江に住んでいながら、東京大阪にいる時間の方 が長くなってしまいました。東京は飛行機で行くことになるのですが、大阪は 色々な便利のために車で行きます。車で行くと、車の置き場のことやホテルの 予約のこととかから、結局ラブホテルとゆーことになるのは東京の場合と同じ です。


 と言う訳で、夜は十三をウロウロするわけである。ところがこの十三のホテ ル街というのは、そこらじゅうが一方通行なのである。ま、色々なことを考え ると、これはしかたないことであろう。こちらも出来る限り逆行などというこ とをしないように注意して運転することになる。まぁあまり慣れてない道なの で、そのせいで迷子になったりするのであるが、夜ということもあり、どうと でも出来る。混んでないのだから、多少変なところに出ても平気だからだ。

ところが、この一方通行の標識がわかりにくいことがある。先日もうっかり 見落として(とゆーよりも非常に視認困難なのだ)逆行してしまった。そこにちょ うどパトカーが来て... まぁこちらが県外者でもあるので、結果的に単なる指 導で終わったのであるが、その時の会話に呆れるものがあった。

連中の発言の中で呆れた第一は、

法律は法律に過ぎん

何が悪かとゆー判断は裁判所ではなく

我々が行うものである

ということである。正常な頭を持った者からすれば、これがいかに愚かな発言 であるかはわかるであろう。そのくせ、

お前らは法の番人だろう?

と言うと、

俺達はそんな番犬みたいなものではない

などとのたまう。はっきり言って、こいつらは

馬鹿

である。警察の仕事が何であるかを理解していないのである。こんな奴らが警 察でございますと言うのでは、とても治安がどうこうと言えたものではないし、 こんな奴らにあれこれ言われても、説得力がない。

しかし、この会話でふと思い出したことがある。最近Internet界や情報宣伝業 界でも警察の横暴が色々あり、FLMASKが猥褻物ちんれつほう助罪であるだとか、 ホテトルちらしを印刷した印刷屋が売春ほう助罪であるだとか、援助交際が売 春だとかとキャンペーンはっているだとかという、一種の

警察の暴走

の中心が、実は大阪府警なのである。そのことを考えると、

善悪を決めるのは現場である自分達

という発想は、なるほどと感心するものである。確かに自分たちの判断でつっ ぱしっている。

ところで話は変わるが、大阪は路上駐車天国である。よそから来たものにして みると、もうそれこそ道路は

どこでも駐車場

状態である。そして、それを許しているのも、大阪府警である。どうも警察の 言い分を聞くと、

忙しくて手が回らない

のだそうである。それはそうであろう。「善悪を決める」などという大作業を 勝手の自分の仕事だと思って仕事をし、法律を軽んじて仕事をしていれば、路 上駐車みたいなことにまで手が回らないし、「まぁ忙しいから放っておけ」と ゆー結論になるのは当然のことである。もっと単純に、「ここは駐車禁止。だ からこの車両は駐車違反。よって切符!」とやっていれば、もっとどんどん処 分も出来るし、判断基準が素直になるのだから、結果的に市民の利益になるは ずである。「ここは駐車禁止だけど、お巡りは...」などと思いながら駐車し たり、その結果がラッキーかどうかとゆーよりは、あっさり取り締まられるの であれば、「じゃあ駐車場を探そう」となる方が、

法の下の平等

とゆー観点からも都合がいい。おそらくは路上駐車も減るだろう。

その他にも、「監督不行き届き」のような警察絡み犯罪の多いのも、実は大阪 府警である。これとても、本来の仕事以外のことをやっていれば、監督不行き 届きになってしまうのはしかたのないことである。何しろ人間は不完全なもの であるからだ。

そーゆーわけで、せっかく「指導」だけで見逃がしてくれた連中ではあるが、 どう考えても奴らは

間違っている。

「どこが」といった類のレベルではなく、根底の部分であるところの、

警察とは何であるか

といったところが崩れているのである。根本的な意識改革が必要であろう。
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