おごちゃん的視点のページ1997年1月分


お正月

1997年1月3日

私は正月が嫌いである。これは私の勝手な想像だが、もはや日本人の何割かは、 正月が嫌いなのではないかと思う。そして、そう遠くない将来、同じようなこ とを考える人が増えて、日本から正月という制度がなくなってしまうのではな いかと思う。現代に於いて、正月の意義とは、

単なる連休

でしかないからだ。

正月は何が困ると言って、

世の中の経済活動が停止してしまう

のが一番困る。

私は父親の仕事の関係で、幼小の頃から正月というものと無縁の生活をしてい たこともあり(父親は郵政事務官、つまり郵便配達であった)、正月は

単なる休日

程度にしか思っていない。いや、学校を卒業するまでは、休日ですらないこと が多かったので、普通の日と同じであるとすら思っていた。つまり、普段通り 生活したいのである。ところがその障害となるのが、

世間の経済活動の停止

である。簡単に言えば、「お店が休み」なのである。これは、何か急に必要に なった時に買いに行くことが出来ないということを意味する。これは色々不便 である。

最近はその不便さの解消からか、いくつかのスーパーやデパートの類が開店す るようになったし、今年なぞは宅配便も営業していたりする。これは、

非常にありがたい

ことである。と、同時に、このあたりの関連業種から「正月と言えど経済活動 を停止させてはいけない」ということが波及して行くように思う。つまり、

お正月の崩壊

が起きようとしていると思うのだ。実際、元旦から営業しているスーパーやデ パートにはお客が殺到している。この人達も私と同じように、経済活動が停止 しているのが困るか、

日常

を求めているかどちらかではないかと思う。つまり、結局のところ

お正月は不要

と思っている人が多いのではないかと思う。

これに関連してであるが、この経済停滞をするために、年末が妙に忙しくなる ことがある。私はあまり年度末や年末に仕事が集中するような仕事をしている わけではないが、それでも色々あったりするので、仕事が増える。たかが、1 週間ばかりの(取りたくもない)休日のために、忙しい思いをするのは御免であ る。

また、正月となると、

帰省

という問題が起きる。つまり、都会に出ていた人々が田舎へ帰るという

民族大移動

が起きるのである。それは学生が冬休みに入る、12月の中頃から始まり、クリ スマスを過ぎた頃に一般人に波及し、御用納めを過ぎた頃にピークに達する。 そして、3ヶ日を過ぎた頃から逆流が始まり、15日頃まで続く。幸い私は郷里 は近いし、家内なぞは市内なので、あまりこの民族大移動には参加していない。 だから、

やりたい人は勝手にやれ!

なのであるが、そのあおりを食って、

交通宿泊機関が麻痺

するのが困るのである。だいたい12月中頃から1月中頃までは、仕事で出張し たくても出来ないのである。いや、不可能ではないのであるが、色々効率が悪 くなるので、出来ればあまりやりたくないのである。このことと、経済活動の 停止のことも含めると、約1ヶ月間仕事が出来なくなるのである。これもやっ ぱり嬉しくない。

さらに嫌なのは、お正月には

お正月の挨拶

が必要なのが面倒くさいのだ。何しろこっちは正月が嫌いで

昨日の次は今日

今日の次は明日

という生活が好きなのだから、正月にことさらの意味を見い出していない。だ から、正月だからと言って、特別な挨拶をするのはどうもピンと来ないし、面 倒なのだ。そしてマズイことに、この「お正月の挨拶」は

いったいいつまでやれば良いのかわからない

のである。ある人は三ヶ日で終わりだと言うし、別の人は七草までは正月だと 言う。また、「とんど」までが正月だと主張する人もいるし、

1月の末頃に

あけましておめでとうございます

などと挨拶する人もいる。こっちもいつまでやって良いのかわからないから、 あいまいな笑みをするしかないのだ。ついでに言えば、年末の挨拶も一々あっ たりするので、こいつも面倒くさい。

と言うわけで、私は正月が嫌いなのである。ついでに付け加えるなら、雑誌に 連載を書いている身だと、正月の他に盆とかゴールデンウィークも嫌いになる。


舗道用通水性タイル

1997年1月12日

最近の歩道の舗装は、単なるアスファルトではなく、舗道用通水性タイルであ ることが多いようである。これは見た目に綺麗だし、滑らないということから 好まれるのだろうと思う。しかし、これは実に困るのである。

これは基本的にタイルであるから、その継ぎ目は

凸凹

である。これは車椅子に乗った者には辛い。嘘だと思うのなら、自分でやって みるといい。スイスイ走れる時には単に「ガタガタするな」くらいで済むが、 ゆっくり移動するようになると、これは

障害物競争

のようなものである。これは何も車椅子に限らない。自転車でも同じである。 コンビニでコーラでも買って、この上を自転車で走ってみよう。家に着いて蓋 を取ったら何が起きるか。これは卵を運ぶのでも同じである。

実は元々歩道というものは、自転車や車椅子のような

車輪のついたもの

にとって快適な場所ではない。障害物は多いし、狭いし、歩行者には気を使う し(自転車で使わないアホもいるが)で、ロクなことがない。特に交差点で歩道 の切れたところは、凸凹だし、

ゴミが溜まりやすい

関係から、車輪をパンクさせるものが落ちていることも少なくない。そこをさ らにこのような凸凹のある舗道材を使うと言うのは、

いやがらせ

としか思えないのである。それでなくても田舎の舗道は凸凹があるのに、わざ わざ凸凹を作るようなことをしなくても良いではないか。

しかも、この舗道。基本的にそれぞれの部材がバラバラになっているから、舗 装してしばらくすると、道の沈み方の違いで、益々凸凹になる。これも困った ものである。

確かに単なるアスファルト舗道は無粋である。しかし、そうかと言って、この ような舗装は使い勝手が下がる。出来ればもっとマシなものを考えて欲しいし、 そうでなければ、潔く

負けを認めて

アスファルト舗道で満足して欲しい。道は使えてなんぼだからだ。

PS. 1997年1月16日

ここではほとんど触れていないが、通水性ではないタイルの舗装は、あれこれ 言うまでもなく、

論外

である。雨が降ればツルツル滑って危いし、それでなくても磨擦が少ないため 安定して歩き難い。はっきり言えば、このような舗装は

悪意

であると言っても甘いであろう。これで誰かが転んで怪我をしたなら、その舗 装を発注した者には、

傷害罪

を適用すべきである。繰り返すようだが、これは

過失ではない

タイルなんぞで舗装をすることを考えた時点で、殺意は明白であるからだ。

携帯電話

1997年1月22日

最近携帯電話への風当たりが強い。多くの人が持つようになった結果、マナー 違反が目立つようになったのだろう。まぁ確かに

オイオイ

な人は少なくない。しかし、それらのかなりの部分が、

しかたねーよなー

的なものであることも少なくない。

例えば、

混雑しているところでは使うな

という意見がある。確かに、電車の中とかで、いきなり携帯で話されるのはうっ とおしい。同じように、新幹線の中では、席では使わずにデッキで話せと言う 意味のアナウンスがある。しかし、こっちの都合と関係なく電話というのは鳴 るのである。

だったらスイッチ切れ!

という声もある。ある意味でこれは正しい。静かな環境、例えば映画館とかホー ルの中とかなら、スイッチは切るべきである。しかし、混雑した電車の中とか、 新幹線の中でその必要があるだろうか? どうせ周囲はうるさいのである。高々 電話くらいで目くじら立てるのはどうしたものだろう? 確かに大声で電話さ れればうるさいから、やめて欲しいと思うが、普通の声ならそんなに気にはな らないはずである。むしろ、電話なしでも大声で話してる連中は大勢いるわけ で、こっちの方を放っておいて携帯電話の方だけを責めるのは、一種の

いじめ

ではないだろうか? 実際、私は新幹線の中で他の人が電話している声よりは、 バタバタと暴れ回るガキ共の方が、よっぽどうっとおしい。これは感性の問題 なのかも知れないが、周囲を気にしながら電話をしている人を見ると、むしろ

御苦労様

と思うくらいである。もちろん静かにして欲しいとは思うが、電話だけなくなっ ても大差はないので、

だったら許してやれ

と思う。

運転中の電話

もよくヤリ玉に上がる。確かに運転中に電話されるのは、見ていても

恐い

また、どうも電話の操作でよそ見をしてしまうし、ずっと片手運転になるので、 出来ればやめて欲しいと思う。しかしこれも、

電話はこっちの都合に関係なく鳴る

ことから、避けるのは困難である。本来なら、「ただちに停車し」ということ になるのだろうが、高速道路のように停車が難しいところでも電話は鳴るから、 これもなかなか難しい。

このような時でも、やはり「車に乗る前にスイッチを切っておけ」ということ になる。それが出来ればそれが一番良いと思う。しかし、そのようにしておく と、

電話は切るな!

と言いたい人々から文句が出るのである。

思うにこれは、やはり電話は切っておくべきだと思う。それが一番安全である。 だとしたら、世間の人々は、

携帯電話は切られるもの

ということを広く了解しておく必要がある。つまり、電話が切られていても文 句を言うようなことはやめれば良いのだ。それが世間の常識となれば、何も恐 い思いをして車を運転しながら電話する必要がなくなる。

これに関連して、運転中でも手を離さないで済むような電話機が開発されたそ うである。これは実に良いことである。

ダメ

などと言う暇に技術開発をするのが、正しい技術の使い方と言うものである。 しかし、これに文句を言う人がある。それは、

確かに手は離れないが、

運転中に電話をすると注意力が散慢になる

と言うのである。まぁ確かにそれは正しい。しかし、「運転中に電話」しなく ても、車に同乗している人と話せば、それに気を取られた分だけ注意力が散慢 になることは同じである。先行車を見ていて会話がはずんでいる様子が感じら れたなら、停車して一休みするか、追い越しをするのが正しい。そう言うわけ で、危険であることは電話であろうがなかろうが同じである。ここでも、

電話だけを悪者

にしていることがわかる。このような考え方は色々と

問題あり

である(このことは、また他の機会にでも書こう)。

確かにエチケットは守るべきである。と同時に、エチケットの押し付けはする べきではないと思うし、出来れば「エチケット」のような主観的なことに物事 を依存するのではなく、エチケット抜きでちゃんとするようなシステム設計を するべきなのである。


松江市放置自転車防止条例

1997年1月31日

これはローカルなネタである。

最近松江市駅の周辺では自転車は止めてはいけないことになった。その代わり に駐輪場が出来て、そこに止めることになったのである。有料であって色々面 倒なのではあるが、まぁ駅の周辺が自転車だらけになるのは色々良くないので、

これも市民の勤め

だと思うことにしている。私自身は滅多に駅に自転車では行かないので、むし ろ止め易くなったので歓迎している(従来の駐輪場は混雑していて、常用して いる人でないと使えなかったのだ)。

ところが、この駐輪場の運用体制がいけない。

まず第一にこの駐輪場は

有人管理

なのだ。チケットの自販機はあるのだが、基本的に門番のお目通しが必要なの である。これ自体はまぁ別にどうってことはないのであるが、やはり人が相手 なので気を使うし、先客が変にこじれた話をしていると、待つことになってし まって、ちょっと不便である。また、有人ということは、

人件費が必要

ということになり、あまり運用上好ましいとは思えない。また、門番によって は、

適当に料金を負けてくれたりする

のである。これはどうも合点が行かない。と書くと、

負けてもらって文句言うな

という人もいるかも知れないが、こーゆーことは平等にやってくれる方が、色々 安心であるし腹が立たない。例えば負けてくれない人に当たった時は、

ケチ!

という気にもなるし、

他の奴はまけてもらってる

と思うと、色々面白くない。それに、行政の平等性ということにも問題がある はずである。とにかく、こういったところで個人裁量が働くということは、非 常にマズイと思うわけである。

まぁこれくらいならいい。問題はこの次なのだ。

この駐輪場の営業時間は、午前6時から午後11時である。それ以外の時間は労 働力の都合等から、営業されていない。そして、鍵がかけられて、利用するこ とは出来なくなっている。

ところが、松江駅着の最終電車は午後11時を大きく過ぎているのである。つま り、自転車で駅に来て、帰りがその最終電車になってしまうと、

自分の自転車が出せない

ということになるのである。このことは前にも市の方に文句を言ったのである が、その時は

仮設駐輪場は鍵をかけないから、そっちに止めろ

という回答であった。その当時は一応不完全ながらも代替手段があったのであ る。もっともこれも明示はしてないため、知らない人は自転車が出せなくなる という点では同じである。しかし、まぁ知っていれば何とかなった。しかし、 今はこの

仮設駐輪場は存在しない

のである。そして、駅周辺はキッチリ駐輪禁止になっているから、適当にその 辺に放っておくわけにも行かないから、

午後11時よりも遅い電車に乗る場合は

自転車で駅に来れない

のである。どう考えても、これは

単なる馬鹿

である。

ちなみに、私が締め出された時には、近くの派出所で「何とか出来ないか」と 聞いたのであるが、そこのお巡りが言うには、

実は我々も困っているんですよ

ただ、あちらは市のされることなので

管轄の違う我々は何も言えないのです

ということであった。何という皮肉であろうか。この程度の行政センスの都市 に住んでいる自分が恥ずかしい。

神戸

1997年1月31日

以下の話には特に思想はない。単なる感想である。

若干話の時間関係が前後するが、先日神戸に行って来た。

IRCな人

と遊ぶためである。御存知のように、神戸は大震災があったところである。実 は私はポートアイランドの中にあるSunTVの営放システム構築のために、神戸 には

通勤

していた時期もあるので、どう変化しているか、色々気になっていたのである。 まぁこの辺は、神戸と付き合いがある人は当然である。

あれから2年たったのであるが、やはり震災の爪跡は...

跡かたもない!

のである。確かに更地があったりするのであるが、これはバブル崩壊後の都会 では、そう珍しいものではないし、あちこち工事しているのは見るが、それは

新興住宅地

にありがちの風景であるから、特別に違和感はない。道路がヒビ割れた跡はあ ちこちにあるのだが、これは

震災と関係ない松江でも普通に見る

ことであるから、これもどうと言うことはない。これでは知らない人が見たら、

神戸は完全に復興した

と思ってしまっても不思議はない。とにかく、綺麗なのだ。話に聞けば、そこ まで綺麗になっていないところもあるそうなのだが、少なくとも私の歩いたと ころは、綺麗だったのである。

確かにこれはこれで良いことなんだろう。悲惨な過去は過去にしてしまった方 がいいだろう。しかし、何か

時の流れのはかなさ

を感じてしまったのである。もちろん街は早く復興して欲しい。いまだ支援の 必要のある人も、早くその状況から脱することが出来ることを祈りたい。しか し、そういった事実があったのは事実なのだから、せめて

原爆ドーム

のようなものが残っていても良いのではないだろうか? 色々なことの

記念

として。
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