「恋空」を全力で読んでみた

いろいろ話題の「恋空」を全読してみた。

と言っても、本を買って来たんじゃなくて、

切ナイ恋物語恋空前

切ナイ恋物語恋空後

を読んだだけなんだが(文字化けがあったら、それは「仕様」です)。ちゃんと読み飛ばさずに後編の終わりまで読んだ。

私は「女子中高生的オナニー文章」の類はわりと苦手ではないので、読むこと自体はそれ程苦じゃない。また、ズルしないように、諸々の先入観を持たず、また先験的知識も持たずに読んだ。あまり「批評」を前提に読むというのは、アンフェアだとも思うし。

読むのにかかった時間は、約5時間。まぁ間で飯を食ったりしてたので、実質3時間強くらいか。ちなみに、私は全力で聖書を読むと、新約旧約合わせて1時間で読む(*1)。普通に読んでいても、平均的な人の数倍の速度で読む。よく「そんな速度で小説とか読んで楽しいか?」と聞かれるのだが、これは慣れのせいかまるっきり平気だ。むしろ、そういったテンポで楽しんでいると解釈してもらうといい。ところが、その私が3時間強かかったのだ。

時間がかかる理由の1番は、ページをめくる時間だ。全部で900ページくらいあるweb pageをめくるのは、思いのほか時間がかかる。特に夜はネットが重くなるのと、FireFoxのくだらないバグのせいで、めくるのにどんどん時間がかかる。最後の方は2/3はページをめくる時間だったんじゃなかろうか。

次に時間がかかるのは、途中に大量にある会話部分だ。どれが誰の話したことか、理解するのにちょっと時間がかかる。地の文の部分はそんなことはあまりない(後述)ので、どんどん読める。

まぁそんなわけで、文章を読む速度に自信のある私が、それだけ時間をかけてしまう「作品」だ。

あらすじだけピックアップすれば、まぁ「名作」と思わせられる人がいてもおかしくはない。とは言え、それは「あらすじだけピックアップ」ということをするからだ。なんでわざわざそんなことを言うかと言えば、件の文章は、

小説以前

の文章なのだ。小説として読むと、はなはだ読み難い。何がいけないかと言うと、

  • 妙なディティールが細いわりに、話の流れが荒い
  • 「視点」が安定してないので、どこに主観を置けば良いかわからなくなる
  • 「背景」がまるっきりわからない

という点だ。

「妙なディティールが細い」というのは、「そこに表現の力を込められてもだなぁ!」と言いたくなるような文章が多いということ。そのわりに、どうでもいい日々は流すのではなく、荒く書いてあるものだから、とにかくそこまで読まされる。「そこで作者は何が言いたいんだ?」と言いたくなるような、伏線でも背景でもないところが、「荒く」描かれている。私が編集者なら、「この辺ウザいから削れ」と言っただろう。「粒度」が出鱈目なので、テンポがつかめないのだ。

「視点が安定してない」というのは、一連の話はどうやら主人公である少女視点で書かれているはずなのだが、時々妙に客観的になったりしているということ。そこで感情移入が逸らかされてしまうので、これもまた読み辛い。会話でない地の文が第三者的になっているのなら、それはそれで普通の小説なのだが、そうでもない。主人公視点だけでもない。地の文は会話よりはスラスラ読めるとは言え、これはちょっとひっかかる点だ。

「背景がまるっきりわからない」というのは、登場人物の過去や未来がほとんど出て来ないので、ある発言がどういった背景でされたものであるかということがわからないので、読み難いのだ。小説に限らず、こういった「創作もの」では、登場人物はそこに書かれた時にいきなり存在しはじめ、話が終わった時に消失してしまうもの… ではない。FFTをやる時の「窓関数」みたいなもので、登場人物の日々を切り出したものが小説なのだ。そこをいきなり切るからエリアシングのようなことが起きて、話が見えなくなってしまう。

ということで、これを「完成された小説」と思って読むのは不可能だ。小説を書く前の「プロット集」だと思うしかない。そう思うと、マンガや映画の方は、それなりの人が書き直した結果だから、それなりに見れるんじゃないかと思う。

ということで、途中から「プロット集」として読むことことにした。

そう思って読めば、まぁそれなりに読んで読めないこともない。「これが実話です」と言われると萎えてしまうが、「というお話だったのさ」ということなら、まぁいいかなと思う。仮にこれが本当に実話であったにしても、文章にする時にはもっとモチーフを減らさないと、あまりに嘘臭い。文章の長さやテンポと比べて、起きるイベントが多過ぎなのだ。そりゃ「波乱万丈だったけど健気に生きている私」と言いたいのかも知れないけれど、「これでもか、これでもか」とイベントがあるのはちと萎える。まぁ書ける小説家なら、これで3つくらい話が書けるんじゃないかな。つまりまぁ、「ダラダラとネタを垂れ流している」だけで、話としてまるでまとまってない。

「名作」という評価については、

泣ければ何でも名作だと言う人にとっては名作

だろうということ。お話のプロットそのものは、泣きたかったら泣けないこともないし、それなりに感情移入すれば泣けるだろう。とは言え、普通の生活をしている女子中高生(あるいはそれの成れの果て)が「等身大の自分たち」とか言うのは、いくら何でも無茶だ。「そういった世代のファンタジー」ならアリだと思うけど。

また、この話は「900ページ」ある。分量そのものは大したことないのだが、「長めの携帯メール」くらいの文章が900ページあるのだ。だから、読んでいるうちに「次マダー!」な気分になって来る。別に次のページに凄いことがあるわけじゃない展開なのだが、「次」をめくらないと読めない… ということで、ある種の「中毒性」がある。それを「没入性」と勘違いすると、「名作」に見えるんじゃないかと思う。

読む前は「何やら新しい発見があるんじゃないか」という期待もいくらかあったのだが、どうもそうではないようだ。強いて言うなら、「文章を細切れに出す」ということで、読者を没入させることが可能だという「テクニック」について発見したくらいか。「新しい文章表現のカタチ」という点では、「電車男」の方が何倍もいい。

「女子中高生オナニー文章」をわりと読み慣れている私からすると、「長さだけだね」という感じ。小説の体を成してない。もっといい「オナニー文章」は他にいっぱいある。

というのが私の感想。本当はもっとちゃんとした「読書感想文」を書きたいと思ったのだが、何しろ窓関数抜きで切り出したような話なので、「小説」を読んだ後に残るべき「余韻」がない。だから、お話そのものの感想が持てないのだ。

PS.

*1 もちろんこれは何度も読んでいるから出来ることだ。また1時間くらいだからこそ、集中力が維持出来る。逆にこれが「1日」だったら、多分無理。

PS.2

「ちゃんとした批評」をするために頑張って読んでみたんだけど、

ブックマーカーもブロガーも、読まずに批判し、読まずにネガコメし、誤解したまま言及する

というのを読んでちょっと脱力。いや、このエントリが悪いんじゃなくて、

「作品を読まずに作家を語るべきではない」という言葉は上述のように、真っ当で正常で礼儀正しい姿勢だと思うけれども、「ではどこまで読めば、作家を語れるのだろう」とも思ってしまう。原理原則として考えるなら、誰だってある程度「読まずに語る」のですし、「誤解されつつ語られること」なんて日常茶飯事でしょう。

の部分。確かに「読んだから」と言って批評の資格を得るわけでもないし、逆に読まないからと言って批評の資格がないわけでもない。確かにもっともだ。

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