都会を感じる瞬間

空気が田舎っぽいとは言え、ここは一応都心なので、徒歩1分くらいのところに食べもの屋はいくつもある。

普段自分で飯を作る私も、面倒臭い時にはその辺で飯を食う。何度も行けば「ご近所」であるので顔馴染みにもなる。

ところがよく考えてみると、その「ご近所」として認識している人々は、「ご近所」でも何でもない人達だ。どこに住んでいるかはよくわからないが、明らかに私よりも遠くからそこに来ている。つまり、「真性ご近所」ではないのだ。

これは別に食べもの屋に限ったことじゃなくて、秋葉に出掛けても(徒歩5分)、アメ横に出掛けても(徒歩10分)、そこのお店にいる人達は、たいてい私よりも遠くから来ている。いろんな用事を「ご近所」で済ませているつもりが、「人」という観点で見れば全くそうでないということだ。

なんてことを思っていると、要するにここは「人の集まって来るところ」ということなわけだ。この地域の経済(と言うと大袈裟だが)は、「よそ者」で支えられているということであって、「地元民」はほとんど経済に寄与していないわけだ。

これは田舎で産まれ育った私からしてみると、驚異的だ。田舎は「地元」の範囲が広いということもあるが、たいていは「職住近接」であり、「生活の地元」と「経済の地元」が一致している。だから「地元」ということに違和感がない。

ということを思うと、この辺では「地元の」なんて言葉がまるで意味を持たないことがわかる。そういった「地元民」で経済が成立していないということが「都会」なのだなぁと感じる。

「都会」では「地元」なんてものは意味を持たない。そういったことが通用するのが「都会」の定義なのかなぁとか思ってもみる。