政治にとやかく言う気がない

私はあまり政治そのものに興味がない。

政治家の品性だとか、世の中の風潮だとか、国際関係だとか、そういったものには興味があるのだが、政治そのものにあまり興味はない。なぜなら、あまりに「当事者感」がないからであるし、それ故に何を言っても無責任でしかないからだ。つまり「酔っぱらいの戯言」と同じレベルのことしか言えないのだ。仕事柄全く知らないわけではなく、世間で求められる常識よりもちょっと詳しいくらいは情報を得ているのだが、何を言っても意味がないという点に於いて、「酔っぱらいの戯言」と大差ないわけだ。

私が「『嫌』するくらいなら『反』やれ」とか、慎太郎の国際感覚のズレっぷりにあれこれ言うのは、それは結局「自分の態度」についての話になるからだ。近隣各国の元首をネタにするのは、それがあまりにおかしいからであって、彼等の政治そのものに興味があるわけでもない。「難民」の類は「気の毒だなぁ」とは思うが、そのモノサシが果して彼等自身に適合しているかどうか、私は知らない。

学生時代からボランティアのようなことをやって来て、右翼左翼(「ウヨサヨ」ではない)や労組、いわゆるプロ市民、議員首長の類といろんな関わりをして来た。そこで見聞したことから言えば、「どんな立場からであれ、政治や行政を批判する奴にロクな奴がいない」ということだ。彼等の多くは、自分では何もしない人達であり、何かあると他人のせいにする人達だった。私の目から見れば、「自分の無能を政治や行政のせいにしている」としか見えなかったのだ。それは当時の自分の目がそうであっただけではなく、いまだにそう見えるのである。

確かに政策的なことはたくさんある。しかし、それが自分の手で動かせる訳ではない。それは政治家自身であっても「いくらかマシ」であるに過ぎない。誰が首相になったところで、結局は電博の影響を受け、手を貸りるしかない。そうであれば、政治や行政を批判している暇に、「その中でいかに泳いて行くか」を考えた方がいい。

今回の総裁選挙の結果やら発表される閣僚の名簿やら見て、「これから日本はヤバくなる」と言う人もあれば、「これから日本が良くなる」と言う人もいる。私は長い目で見れば、「そういった○年間があった」という歴史になってしまうだけにしか思えない。良くなろうが悪くなろうが、必ずいつか逆方向への引き戻しがあるはずである。

この話はよく書くし言うのだが、「ヨットは操船によって風上にも風下にも移動する」のだ。目的地が風上にあれば、向い風であろうとも風上を目指さなければならないのである。

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