愛国の美と愚

そろそろ行き先のネタが尽きて来たので、今日はひたすら距離を稼ぐことにした。

いつものようにJR御徒町駅方面に行ってから、春日通りに入る。これを制限時間内ひたすら行けるだけ行くことにしてみた。といっても、やる前からだいたい見当はついていて、厩橋を渡って、清澄通りあたりが限界である。果して時間を見ると、やはりそうであった。

厩橋

会社印を作らなければならないので、途中いくつかのハンコ屋を覗きこむ。いろいろあるとどこでやって良いかわからん。

春日通りから清澄通りに折れ、しばらく行くと蔵前橋通りになる。後は帰るだけ… のはずであった。

石原一丁目の信号を渡ったところで、不思議な形の建物を発見して興味をひかれる。あまり遠くないし、時間はちょっと余裕があったので行ってみると、それは「横網町公園」にある「東京都慰霊堂」であった。

東京都慰霊堂

この「慰霊堂」は何の慰霊かと言えば、当初は関東大震災のための慰霊であり、後に東京大空襲のものも含めた… らしい。これだけなら単なる「災害慰霊塔」でしかないのだが、由来等を見ると面白い。と言うか、それを見たり記念館の展示物を見たりしたものだから、予定の時間を大幅にオーバーしてしまった。

この施設、いろいろな「歴史の皮肉」がある。ごちゃごちゃ書いてもしょうがないので、事実だけ書いておく。

  • 関東大震災は1923年9月1日
  • 慰霊堂竣工は1931年
  • 慰霊堂には梵鐘があり、中華民国仏教団より贈られた
  • 盧溝橋事件は1937年。ここから日中戦争は始まっている
  • 関東大震災では震災だけではなく「デマ」によって殺された6000人の朝鮮人のための慰霊碑がある
  • その横に震災慰霊碑があるのだが、ぱっと見によくわからない
  • 関東大震災の復興には、海外から多大なる寄付が贈られており、多い順にアメリカ、イギリスである
  • 東京大空襲はアメリカによるものであり、慰霊塔竣工から14年後
  • いずれも東京は同じような焦土となった(いきなり写真見てもどっちかわからん)
  • 記念館には関東大震災で黒焦げになったクッキーが展示されている(80年以上たつのに、食われても腐ってもない)

朝鮮人の慰霊碑

面白くもあり、悲しくもあり、皮肉でもあり、滑稽でもあり、馬鹿らしくもある。諸々のことはたった20数年の間の出来事であるというのも、なんか不思議だ。「現実」というのはこのようなものなのだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です