なんでラーメン屋は偉そうなんだ?

痛いニュースより。

ラーメン屋の店主に「本読むな。集中して食え」と言われた。傲慢すぎでは?

まぁ飯食いながら本を読む奴は見てても不快ではあるが、不快度で言えば傲慢なラーメン屋の方が上だ。

いわゆる「食育」という観点で、いろいろ行儀をするというのは悪いことではないと思う。箸の持ち方とか、態度とか、本来家庭で教育すべきことなのかも知れないが、親にその能力がない時代なのだから、「社会の専門家」が分担しても悪くない。親を教育するのは数10年単位の時間がかかるのだが、社会にその能力を持たせるのは「やりましょう」と合意するだけだ。

とは言え、「食育」は本人、またはそれを含む「社会」のためのことであって、「俺の店」のためではない。また「作法」は「似合い」ということもあるから、その場にあった作法を教えるべきである。ラーメン屋と懐石料理は作法が違うものだ。もちろん共通部分もあるけど。

ファーストフードに属するものは、ぞんざいな、多少くだけたくらいの作法が似合う。「ファーストフードで妙にきちんとした作法の客」なんてのは、「こち亀」あたりのネタでしかない。店が空いていれば、本読みながらでも、ことさらに目くじら立てる程のことでもなかろう。もちろんそれは良くないという作法の人がいてもおかしくはないが、押しつける程のことではない「場」だろうと思う。

ところが、なぜだか「古典的ファーストフード」の、「ラーメン」「蕎麦」「寿司」「うなぎ」の類は、妙に店主が「作法」にうるさいところが少なくない。店の雰囲気も妙に堅いところが少なくない。それが本当に「食育たる作法」ならいいが、たいていは「親父の俺ルール」に過ぎなかったりする。

という背景を持って元スレを読むと、「そんな店とっとと潰れろ」と思う。

私にインタビューしたことのある記者は、私が「800円ラーメン」を馬鹿にしている話を聞いたことがあると思う。牛丼が200円そこそこの時代に、ラーメンが800円もする。「インタビュー」の時はこれは別の話の前フリなのだが、実際にこれはおかしいと思う。「1食分のファーストフード」が、かたや200円そこそこ、ラーメンは800円。食事としての価値に大差はないし、原価も同じようなものを作れば同じようになるはずなのに、牛丼は200円。ラーメンは800円だ。

「これはこだわりの味だから」と理由づけされるわけだが、そもそも消費者はラーメンにそこまで「こだわり(誤用)」を求めていないことが多い。もちろんたまには、「高級ラーメン」を食いたいという気持ちがあってもいいし、それに応える店があってもいいと思うのだが、猫も杓子も800円の「こだわり」である必要はない。原価云々の話もあるが、都心でも九州系のラーメンは600円台だったりする。私は九州系ラーメンが好きだったりするから、ますます「は??」だ。

どうもラーメン屋には「勘違い」が横行しているような気がする。業界を甘やかした奴等の責任とも思うが。